「川は、海は、生きているか。」
天野礼子(アウトドアライター)

この文章は「全国漁業協同組合連合会」の広報誌(11月号)の特集
”海から見つめ直す川”に天野礼子代表が書いたものです。


川からの警告

 川では「アユの冷水病」が全国に蔓延してしまっている。体中に穴のあいたアユ。腎臓をやられているので、オトリアユに攻撃をうけても追う¢フ力のないアユ。大量の死。
 かつて高度成長期に川を工場廃水で汚され廃業を余儀なくされた川漁師さんたちは、「治水」と「利水」の二文字で説得されてダム建設に判を押してきた。「海から溯るアユがいなくなっても、追い≠フ良い(琵琶)湖産アユを配ってあげる」「人工養殖施設を造るよう河川局に口をきいてあげる」「湖産アユの人工産卵河川を造るからいくらでも湖産は配ってあげる」などとの甘言によってこれまで、日本中の川に二七○○余ものダムが造られ、その結果が日本の川の王者≠ニもいうべきアユの絶滅の危機である。
 世界で唯一、三種類のアユ(海産アユ・湖産アユ・リュウキュウアユ)を持ち、アユの分布の世界の中心にあるわが国の、これは「川の悲劇」ともいうべき大問題である。
 ダムで寸断された川がアユから、病に対する抵抗力を奪ったのだ。川からの、私たち日本人に対する、これは警告≠ナある。

海の現実

 海は、森からの水を川が運んだ貯水池である。日本は、四つの海からたちのぼる水蒸気が、三○○○メートル級の山々にぶちあたり、川となって海へ出ずる、かつては世界一素晴らしい生物の宝庫であったが、「川の悲劇」は当然のごとく海へもその影響を強く与えている。
 天龍川は、ダムが造られ続けて以来、海岸線が一○○○メートルも流失してしまっている。
 『脱ダム宣言』で田中康夫長野県知事は、「日本の背骨にある長野県では、今後コンクリートのダムは造らない」と謳った。それは中央アルプスなど日本列島の背骨にはたくさんの活断層があり、常に大量の土砂が生産されるため、コンクリートのダムは造ってもすぐ満砂になってしまい、用途を足せないだけでなく「治水上はかえって危険」という事実を教える言葉だ。天龍川のダム群の異常に高い堆砂率と海岸線の流失の激しさに表われる脱ダム§_だ。
 同じく長野県を水源とする大井川では、電力会社によって三二ものダムと発電所が造られ、川にはほとんど水がない。海岸線は二五○メートル以上も流失し、海の魚の漁獲量は昔の三分の一になってしまっている。
 これらと同じことが、全国の川の河口で起きているというのが「日本の海の現実」である。漁師さんには、河口に砂が届かないことが海の漁獲量の減少に直結することはおわかりだろう。海の魚の産卵場であるもば藻場≠ェ全国で消えているのだ。

殺されつつある富山湾

 もっとひどいダムからの影響をこの一三年間直接受け続けてきた海の漁協がある。黒部川河口・富山湾の漁師さんたちだ。
 二○世紀の一○○年間に日本中の川にダムを造り続けてきた、国や電力会社や県の各機関は、ダムに砂がたまると使いものにならないことや、堆砂をどう処理するかや、ダムのバックウォータにたまる砂が上流の町の洪水の原因になることや、ダムで砂が止められ海に届かないと海にどう影響が出るかなどといったことを一度も・・・真険に考えてこなかった。
 「治水」という名目でダムを造ることが多かった建設省は、一九九一年に初めて、黒部川のだ出しだいら平ダムからの排砂を、ダムの持ち主である関西電力に実行させ実験した。
 黒部川は、建設省の調査では清流度日本一河川。下流域の宇奈月町までは流域に人の住まないゆえに、「排砂実験をしても流れるのはきれいな砂だけ」と想定されたのだろう。 ところが、実験が始まると流れたのは、強い臭気を伴う大量のヘドロ。被害を受けた漁師さんたちは当初「自分たちが県漁連に排砂許可の印をおしたのだから」とあきらめていたが、「排砂ゲートが使われるまでの六年間に貯まった落葉がヘドロになった。来年からはだいじょうぶ」といわれたが次年度からもヘドロ流出が続き、漁獲高が年々減ってゆき四分の一以下になっていったことと、二○○二年からは下流に完成した宇奈月ダムからの連携排砂も実施されるとわかり、「これ以上黙っていて首をくくるはめにはなりたくない」との想いから裁判を起こすに至った。

世界で一番あたらしい科学的知見

 カナダでは近年、自然破壊の原因をつくっていた木材会社が「川の再自然化」に税金を支払うようになってきた。
 森林伐採によって山の斜面から土砂が流出し、それが川を埋め、カナダの国魚ともいうべきサケたちの産卵の場を奪っていたのだが、木材会社たちの税金でそれを直そうというのだ。
 日本では、「森は海の恋人」というスローガンで一九九○年に、宮城県のカキ養殖業者さんらが森へむかったのが有名だが、その二年前には北海道の海のか(あ)さん≠スちがすでに「一○○年かけて一○○年前の自然の浜を」という植樹活動を始めていた。
 いずれも、森から洪水のたびに海へ運ばれていたミネラルや砂が、海の栄養や産卵場づくりに役立っていたことを知り、森へむかったものだった。海のかさん≠フ運動はその後、全国の海の漁協に波及した。しかしこれは残念なことに、森と海の間にある川に横たわる横断物・ダムについて黙視したため、実際上はどれ程の効果があがるかやぶさかでないというのが現実だ。

カナダのサケが教えるもの

 カナダの木材会社たちの改信≠ヘ、ビクトリア大学のトム・ライムヘン教授の研究がきっかけであった。
 海から川を溯り源流をめざすサケの一族は、およそ四○日間を産卵のシーズンとしている。そのシーズン中に、カナダ中のクマが、一年分の食料の四分の三をサケから得ることもライムヘン教授の調べでわかった。およそ七○○匹のサケを、一頭のクマが四○日間に獲り、食らう。一日に一八匹のサケを獲れないクマは、冬眠に耐える体力をつけられないという計算になる。
 トム・ライムヘン教授は、サケが溯った川のどんずまりの滝までの川の両岸五○メートル以内の木の年輪と、滝より上流でサケのやってこられない川の両岸五○メートル以内の木の年輪を比べた。
 滝までの両岸の木には、滝より上流の木の年輪の二・五倍の幅があった。そしてその中には、海に多い「窒素一五」「N一五」が大量に含まれていることが判明した。
 サケがその身体で、海の栄養を森に運んでいたということがこれでわかる。
 「森は海の恋人」だっただけでなく、「海も森の恋人」であったということだ。してみると「川」は、その仲をとりもつ「仲人」であるということだろう。
 カナダの木材会社は、サケを森にもどすことが森を豊かに育てることであることをこれで学び、政府の施策となった「川の再自然化」に喜んで税金を払っているというわけだ。

日本の海の漁師も昔から知っていた

 大井川を歩いた時、河口で四代目の漁師という海の組合長さんにこんなことを教えられた。
 「まご(ひい)じいさんが俺の小さい時、洪水の度に俺を川岸まで連れてゆき、坊よ、この水でせんずい千頭(上流の地名)の奥から魚の卵が流れてくるんよ、といつもいってた。子供の頃はその卵とやらを探したこともあったが、長じてそれは、森から洪水時に届く養分が海の魚の栄養になっているということを教えてくれていたとわかった。昔から漁師は森が海を育てていたと知っていたんだな。
 大井川も、ダムを造らせて砂が海岸に届かなくなり、漁獲量が三分の一になっている。ダムは、水も貯めるが、砂も貯めてしまうことを、ダムを造らせる時に、日本中の川漁師や海漁師がもっと深刻に考えるべきだったんだろな」。
 カナダのトム・ライムヘン教授が世界で初めて明らかにした「サケの教え」は、近代科学がその技術を使い始めて一○○年を経てようやく解明し得た知見である。まるで神のように近代技術を駆使した結果、冷水病や狂牛病などを発生させてしまった近代科学者たちも、つきつめてみれば、「海も森の恋人」であったことすらやっと知り得たという程度であったということなのだ。
 日本以外の欧米先進国では今、近代河川工学がまっすぐにした川や、ダムに頼った治水の見直しが進んでいる。二○○二年のヨーロッパの大洪水後に設定されたEUの洪水委員会では、「川の再自然化」と「遊水地化」への施策の切り替えが遅れていたことが水害を大きくしたと結論づけられている。
 一○○年前には、「治水によかれ」と信じられて進められた川の直線化やダムに頼った治水が、かえって洪水被害を大きくしてきたことを近年の欧米の役人たちは認め、市民や漁業組合など関係団体に助言を求めて、「川直し」に取り組んでいる。
 日本の役人にできていないことは、これだ。黒部川の排砂に苦しむ漁民に決してあやまらない官僚の姿勢にそれが象徴されている。
 しかし漁師や、市民の生活の中に本当の知恵があったことを「サケの教え」は私たちに知らせているではないか。
 日本の海の組合が、ようやくこのような特集を組んで、私にも原稿を書かせたことを喜んでいる。
 これからは「漁師の実学」に自信を持ち、川を取りかえし、海を取りもどしてほしい。皆さんからの要請があればこれからも、三○年間日本の川と海辺を歩いた私の小さな知恵を提供させていただくつもりである。

著作
 「ダム撤去への道」(東京書籍)、「よみがえれいのちの川よ」(旬報社)、「ニッポンの川はすくえるか」(つり人社)、「ダムと日本」(岩波新書)ほか多数。
 ホームページ‥「あまご便り」http://www.uranus.dti.ne.jp/~amago


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