日米ダム撤去委員会 報告書

「日米ダム」第撤去委員会2回国際会議(衆議院第2議員会館・第2会議室 2006-2-7)

ダムに頼らない河川整備計画は可能か
京都大学名誉教授 今本博健


1 はじめに
 わが国では、とくに1960年代以降、全国各地に治水あるいは利水を目的としたダムが多数つくられ、
治水の安全度を飛躍的に向上させるとともに、それがわが国の経済発展に大きく寄与したことは確かである。
しかしその一方で、ダムは、水没を伴い、水質を悪化させ、生物や土砂の移動を遮断するなどにより、
河川環境に大きな負の影響をもたらすことも厳然たる事実である。
このため各地でダム計画への反対運動が盛り上がり、多くのダム計画を頓挫させた。
河道改修とダム建設を両輪とする治水計画の完結の見通しを立たなくしたのである。

 こうした状況を打開するために行われたのが平成9年(1997)の河川法改正である。
河川整備の目的にそれまでの治水と利水に加えて河川環境の整備と保全を取り上げるとともに、
地域の意見を反映した河川整備の計画制度を導入した。
さらに、それまでは工事実施基本計画のみで河川工事の内容を定めていたのを、
河川整備基本方針と河川整備計画の2つで河川工事および維持の内容を定めるようにした。

 河川整備基本方針は河川整備の基本となる基本高水や計画高水流量などを定めるもので、
その策定に際しては社会資本整備審議会の意見を聴かなければならないとされている。
また河川整備計画は概ね20〜30年に実施する河川整備の内容を定めるものであり、
案の作成に際して河川管理者が必要と認めるときは流域委員会(学識経験者)の意見を聴くとともに
公聴会の開催などの関係住民の意見を反映させるために必要な措置を講じなければならないとされ、
また策定に際しては地方公共団体の長の意見を聴かなければならないとされている。

 河川法が改正されて10年を経過しようという最近になって、
各水系での河川整備基本方針および河川整備計画についての審議があわただしく進められている。
なかにはすでに審議が終了した水系もあるが、具体的な策定手続が河川管理者の裁量に委ねられているため、
審議の状況は水系ごとに大きく異なるようである。

河川整備基本方針を実質審議する社会資本整備審議会の下部組織である河川分科会小委員会では、
筆者の見聞するかぎり、本格的な議論はまったく行われていない。
おざなりとしかいえない審議で、河川管理者が準備した方針をなんの修正をすることもなく、
唯々諾々と認めている。まさに御用委員会そのものである。
河川整備計画を審議する流域委員会についても、
例えば全国の流域委員会の設置・活動状況の実態を調査した日弁連公害対策・環境保全委員会は、
「単に法の要件を満たすために形式的に設置されたとしか評価できないものが大半であり、
この設置を求めた法の趣旨が反映されているとは到底言い得ない状況であった」と、
05年12月に開催したシンポジウムで手厳しく批判している。

 このような策定の手続もさることながら、策定された整備計画の内容はさらに問題である。
多くの河川整備計画は従前の工事実施基本計画さながらにダム計画を基本にしているのである。
これらの計画を審議した委員諸氏はダムの環境への影響をどう判断したのだろうか。
取り上げたダム計画が整備計画が想定する20〜30年のうちに実現するとの確信をもっているのだろうか。

2 淀川水系流域委員会
 いま、日本の治水計画は行き詰ったまま暗闇のなかにいる。
しかしそこへ一条の光が差し込んできた。それが淀川水系流域委員会である。
 淀川水系流域委員会は2001年2月に設置されたが、
委員会の活発な活動と委員会が発表した提言や意見書の斬新さなどで社会的注目を集めているが、
その原点を探ると、河川管理者が委員会の設立に先立って設置した準備会議委員として
公共事業に必ずしも好意的であったとはいえない人を含む4人に委嘱したことにたどりつく。

03年12月に発表された委員会の「意見書」の「はじめに」の表現を借りれば、
「淀川水系の河川管理者は、改正河川法による河川整備の新しい理念の具体化と
充実した住民参加手続の実施についての並々ならない強い改革の意欲をもち、
それを実現するために淀川水系流域委員会の設置を勇断した」のである。

 準備会議委員の4人はよく頑張ったといえる。
4人は「今後の公共事業の計画づくりのモデルを目指す」との高い志をもって真剣に議論し、
多くの応募・推薦のなかから53名の委員候補を選び、委員会の運用の基本的な方向を定めた。
特筆されるのは、委員候補としてそれまで学識経験者の範疇に入れにくかったNPO活動家や
一般市民を「地域特性に詳しい委員」として選んだことである。
河川法にいう「河川に関し学識経験を有する者」の枠をはみだしたのである。

 選ばれた53人の委員もまたよく頑張った。この委員会は、本委員会のほか、
地域部会・専門別部会・運営会議・各種ワーキング・作業部会など、
年間100回近くの会合を開いているが、委員の多くは関係する会合に積極的に出席し、
真剣に議論した。その結実が「中間とりまとめ」(02年5月)、「提言」(03年1月)、
「基礎原案に対する意見書」(03年12月)、「事業中のダムについての意見書」(05年1月)などである。
しかもこれらすべてを委員が分担執筆したのである。

 委員が大幅に入れ替わり、28人の委員で発足した第2次委員会でも、
河川管理者が「淀川水系5ダムについての方針」および
「淀川水系5ダムについて(調査検討のとりまとめ)」を発表(05年7月)したのを受けて、
「『淀川水系5ダムについての方針』に対する見解」(05年8月)、
「『淀川水系5ダムの調査検討』についての意見」(05年12月)を提出した。

 ここではダムに関する提言あるいは意見書の概要を紹介しよう。

 ダムについて最初に触れたのは「中間とりまとめ」である。
「ダムによる洪水調節は、自然環境を破壊する恐れが大きいため、
原則として採用しない」との表現が淀川部会の項にある。
しかしこの表現は、委員会で十分議論されなかったからか、一部の委員を除いて注目しなかった。
しかし、「中間とりまとめ」を契機として、委員の気持ちが引き締まったと思う。

 「提言」は委員が総力を挙げてつくった。河川環境、治水、利水、利用、住民参加のそれぞれについて、
従来とは異なる新たな理念を提言しているが、ダムについての記述が社会の注目を集めた。
そのまま引用すると、「ダムは、自然環境に及ぼす影響が大きいことなどのため、
原則として建設しないものとし、ダム以外に実行可能で有効な方法がないということが客観的に認められ、
かつ住民団体・地域組織などを含む住民の社会的合意が得られた場合にかぎり建設するものとする」である。
その後も、「基礎原案に対する意見書」では、淀川水系で事業中の5ダムについて、
「中止することも選択肢の一つとして抜本的な見直しが必要」と述べ、「事業中のダムについての意見書」では、
「可及的速やかに結論を出す必要がある」と述べている。

 河川管理者が「5ダムについての方針」および「調査検討とりまとめ」を発表したことについては、
「当面実施しない」という大戸川ダムおよび余野川ダムの方針には「賛成する」、
「実施する」という丹生ダムおよび川上ダムの方針には「現時点では賛成できない」という「見解」を示した。
天ヶ瀬ダム再開発については「実施する」という方針に「賛成する」としているが、
これは琵琶湖の環境改善に有効であると判断したからである。
さらに、実施するとされた3ダムについては「調査検討が不十分」、当面実施しないとされた2ダムについては
「地域住民への格別の配慮が必要」との「意見」を示した。

 このように、淀川水系流域委員会は終始一貫して新たなダム建設に厳しい態度をとりつづけているが、
問題はどのようにしてダムに頼らずに治水安全度を確保するかである。
また、現時点(06年3月)では、淀川水系の河川整備基本方針が策定されていないが、
従来通りの基本高水を河道とダムに配分する可能性がきわめて高い。
この場合、ダムに頼らない計画をどのようにして基本方針に整合させていくかも課題となる。

3 新たな治水

 治水には2つの考え方がある。1つは水害の発生を防止しようというものであり、
もう1つが水害による被害を軽減しようというものである。

 水害の発生防止は治水関係者の長年の夢であり、
これまでの治水はその夢の実現に向けての努力であったといえる。
河床を掘削し、河道幅を拡げ、堤防を築くなどして、河道の流下能力を増大させ、
不足であればダムや遊水地により洪水流量を調節する。これがいまの河川管理者の基本姿勢である。

 治水に計画洪水の概念が導入されたのはそれほど古いことではない。
明治時代に近代河川工事が始められた当時は財政的な見地から出来るだけのことをしようとした。
対象とされた洪水は対応限界洪水であった。つぎに対象とされたのが既往洪水である。
再度災害を避けようというものである。これを発展させると既往最大洪水にいきつくが、
ここまでは経験が主体であった。その後、1940年代から50年代にかけて水文統計学が飛躍的に発展し、
治水計画に確率・統計学の概念が導入されるようになった。その成果が基本高水である。

 現在の治水計画では、まず最初に河川の重要度などを考慮して超過確率年を定め、
過去の雨量データを用いて基本高水を算定し、基本高水のピーク流量をを河道とダムに配分するという方式を採用している。
しかし、この方式は現在破綻しつつある。ダム計画が進まず、治水計画の完結の目途が立たないためである。
また例えダムが完成したとしても、計画規模以上の洪水が発生したり、ダムの集水域外に降雨が集中したりすれば、
ダムの洪水調節機能は低下する。ダムができても万全ではないのである。

 さらに問題なのは堤防の脆弱性である。わが国の堤防の多くは周辺の土砂を何度も積み上げただけで、
十分な強度を有しているとはいえない。このため、計画高水位以下でも浸透や侵食で容易に破壊され、
越水すれば間違いなく破堤するといっても過言ではない。

 結局、いかに努力しようと、水害の発生を完全に防止することはできないのである。
したがってわれわれが行うべきは被害の軽減であり、とくに壊滅的な被害を避けるようにすることが重要である。
もちろん、そのことも至難のことであり、完全に避けることはできない。しかし、方針を変更することによって、
少なくとも人的被害だけは大幅に減らすことが直ぐできるのである。
いかなる大洪水でも壊滅的な被害を避けるには、これまでのような河川対応だけでなく、
流域対応を併用することである。ここに河川対応というのは河川での対策を意味し、
河積拡大・捷水路・放水路などによる流下能力の増大、ダム・遊水地などによる洪水流量の抑制、
情報発信・水防活動・人為氾濫などによる危機管理といったものが含まれる。
また流域対応というのは流域での対応を意味し、森林保水・調節池・各戸貯留などによる雨水流出の抑制、
土地利用規制・建物耐水化・2線堤などによる氾濫原の管理、情報伝達・警戒避難活動・水害保険・
氾濫水の制御などによる危機管理といったものが含まれる。

 新たな治水方式は洪水氾濫が発生することもあり得るということを前提としている。
これまでの治水計画があたかも水害をなくせるかのような錯覚をもたらしてきただけに、
床下浸水程度の被害は、たとえ数十年あるいは数百年に1度程度であろうと、
発生するということが一般に受け入れられるかという問題を抱えている。

 人為氾濫についてはさらに異論が多いと思われる。しかし、霞堤や堤防の一部を低くすることによって
人為的に洪水を氾濫させ、大被害を防いできたことは歴史的事実である。
人為的に破堤させることも珍しいことではなかった。無秩序な宅地化が進んでいる現状では
安易に採用することは得策ではないが、将来的な課題として検討する価値は十分ある。

 歴史を振り返ってみれば、近代的な河川工法が取り入れられる以前までは
流域対応が洪水対策の主流であった。その意味では新たな治水というより伝統的な治水というべきかもしれない。

4 河川整備基本方針との整合性
 河川法第十六条第2項によると、河川整備計画は
河川整備基本方針に即して定めなければならないとされている。
したがって、整備計画は基本方針を実施することを内容とするのが本筋である。
しかし、すでに策定されあるいは策定されつつある整備計画を見ると、
ほとんど例外なく工事実施計画の中味と変っていない。
つまり、基本高水を定め、それを河道とダムに配分しようという方式である。
これでは、これまでと同様に、完結する目途が立たないではないか。
例え完結したとしても、超過洪水があれば壊滅的被害が発生する危険を抱えたままではないか。

 河川法の制約があるとはいえ、整備計画が想定する20〜30年で完結する別の方式とする必要があるのではないか。
 完結することに重点をおいた整備計画の1つは、とりあえず基本方針で定められたものより小さな洪水を対象とし、
段階的に対象洪水を引き上げ、最終的に基本方針に近づけることで、基本方針との整合をはかるという方式である。
しかし、この方式では最終目標の基本高水にたどりつく見通しが立たないことは同じであり、
さらに途中段階では壊滅的被害をこうむる可能性がきわめて高い。

 新たな治水だとどうなるか。
 新たな治水は、既述のように、河川対応と流域対応を併用するものである。
河川対応にはダムによる洪水流量の抑制も含まれており、ダムを完全否定していない。
しかし、自然環境に及ぼす悪影響を考慮すると、たとえダムを建設できる見通しがあろうとも、
他に実行可能な代替案がない場合の最後の選択肢とするべきである。
経費や実現までの時間のみで安易に採用してはならない。主体は河道改修とするべきであり、
とくに重視すべきが堤防強化である。
また流域対応に含まれる警戒・避難活動などのソフト対策を河川対応の遅れの隠れ蓑としてはならない。
河川管理者の主要な役目は河川対応を充実させることであり、ソフト対策についてはあくまで支援的立場に徹するべきである。

新たな治水でも、河川対応で対象とする洪水の規模を段階的に高めていく努力を怠ってはならない。
河道拡幅と堤防強化に重点をおいて、対応できる洪水の規模をつねに大きくしていくべきである。
河川対応が対象とする洪水規模に上限はないのである。基本高水ですら途中段階の一つに過ぎない。
この努力によって基本方針に整合すること以上を目標にするべきである。
重要なことは、当面は流域対応にかかる比重が大きいものの、
少なくとも人的被害は直ちに避けられるようになるということである。

 いまの基本方針に固執すれば、ダム以外の方式をとろうとすると河道改修に莫大な経費がかかり、
財政的に実現の見通しが立たなくなる。ダムを採用しようとすると、反対されてなかなか実現しない。
実現すれば、こんどは環境破壊という問題を抱える。このようなジレンマのなかで、
いま必要なのは新たな治水方式に転換することである。それ以外に方法はないと思う。

 本来であれば、基本方針を策定する段階でこの問題を取り扱うべきである。
しかし、現実をみれば、改正河川法の趣旨を活かそうとの気運はまったく見えない。
したがって、整備計画の段階で考え方を変えざるを得ない。しかも重要なことは、
新たな治水方式は次善の策ではなく、本筋の方策であるということである。
整備計画を審議する人たちは、勇気をもって基本方針に立ち向かってほしい。それが義務であると筆者は思う。

5 おわりに

 新たな治水はあらゆる大洪水を念頭においており、目標洪水を設定しないという意味で、
これまでの治水の考え方と根本的に異なっている。もちろん、これまでの治水方式でも、
超過洪水対策として、越水があっても破堤しないようにスーパー堤防を実施したり、
人的被害をなくすための避難対策を充実させようと努力はしている。
しかし、多くの場合、それらは補完的に取り入れようとしているだけで、
基本のところは変っていない。新たな方式はそれらを本格化しようという提案に過ぎない。

 環境面からみると、ダムにいいところはない。治水面でみても、洪水を調節する効果はあるものの、
その効果は限定的であり、ダム以外の代替案もつねにある。また、現在の水需要は漸減傾向にあり、
新たな水需要に対しては節水で対応できる。新たな水資源開発はいまや不要なのであり、利水面からの必要性もないのである。

 このような状況のもとで、ダムに頼らない河川整備計画を策定することは河川に関係する者の役目である。
河川管理者はダムをつくることに臆病になってほしい。住民もまた洪水氾濫と共存することを受け入れてほしい。
それが日本の未来につながるのだから。

 最近ようやくダム計画が見直されるようになった。計画が中止となった例も多い。
しかし既設のダムについては、不要になったものですら、撤去には至っていない。
しかし、ダムの撤去が本格的に検討されるのもそれほど遠い将来ではあるまい。

 例えば、世界有数の古代湖である琵琶湖の環境が危機的な状況にあるという。
琵琶湖はかつては瀬田川・宇治川・淀川を通じて大阪湾に連続してつながっていた。
いまは瀬田川洗堰および淀川大堰によって分断されている。
このことが琵琶湖の環境に重大な影響を及ぼす可能性はないといえるのだろうか。
琵琶湖から河口まで連続して存在していたナカセコカワニナの分布に空白区が目立つようになったという。
これが分断構造物のせいならば、他にも影響があるかもしれないのではないか。
もし、影響があるならば、分断構造物の撤去が必要である。巨椋池の復元も視野に入れねばならないだろう。

 かつての景観を取り戻すために、東京の日本橋周辺の高架道路を撤去することが検討されている。
琵琶湖の環境保全はそれ以上に重要な意味をもつ。生態学者の真剣な検討が期待される。
結果次第で天ヶ瀬ダムがと淀川大堰が撤去されることになるだろう。

                    


ホームへ戻る