21世紀に私たちが取り組むべきこと

安田火災主催の「市民のための環境公開講座」
「マスコミとどう付き合うか〜メディアと環境教育〜」(2000年12月19日講義)を
同社ホームページより許可を得て転載




天野礼子氏
講師紹介
天野礼子氏
アウトドアライター。1953年京都市生まれ。同志社大学文学部在学中より国内外の川・湖・海を釣り歩く。卒業後、開高健氏に師事。1988年より「長良川河口堰建設に反対する会」事務局長。1997年より「公共事業チェックを求めるNGOの会」代表。近著「ダムと日本」(岩波新書)



1. 長良川河口堰問題

長良川河口堰は1995年から稼動を始めた。現在6年目に入るが、すでに2mものヘドロが溜まっていて、アユやサツキマスなどの魚介類が激減しているのが現状である。
ところで、2000年5月、オランダでは30年間使用してきた河口堰のゲートが2005年に開けられる決定が下された。この河口堰は治水に必要ということで作られたが、ライン川の河口に位置するので、全ヨーロッパ流域の化学的危険物質を貯めてしまい約7mにもおよぶヘドロを溜め込んでしまい、水質悪化や生態系への悪影響が指摘されつづけきた。1995年にライン川で洪水が起きたが、河口堰によってかえって被害が大きくなっていたことが明らかになった。そこで、とうとう河口堰のゲートを開ける決定をしたのである。これまでの近代河川工法の誤りを認め、今後10年間をかけてライン川を元の自然の姿に戻そうという大きな試みの一つとしてこのゲートが開かれる。

世界の先進各国は、20世紀に行った大きな環境破壊的な開発を猛省し、21世紀は自然を回復する世紀にしようとしているが、日本はその流れに逆行している。
私は、1988年に長良川河口堰反対の全国運動を国会に持ち込んだ。私は、19歳、同志社大学1回生のとき釣りが好きになり、川だけでなく湖や海にも釣りにいくようになった。特に川が好きで、卒業後も就職せず、日本中の有名な川にはほとんど足を運んでいた。渓流釣りのフィールドである山里に行ったとき、2つの特徴的な声を聞いた。ひとつは、「ダムができる前はこの川はきれいだったのに」。もうひとつは、「ダムができるとしあわせになる、ダムができると町に若い者がのこると言われたのにウソだった」。

アメリカではTVA思想がダム造りに使われてきた。1920年代にルーズベルト大統領が始めた「ニューディール政策」の一つで、1950年代に世界中に広められた河川工法と巨大ダム建設思想である。「流域に次々とダムを造れば、電力が生まれ、工場が出現し、雇用が創出され、すべての人々がしあわせになる」というものであった。1950年代の日本は、日本の国土の状況や気候を考慮せずに、アメリカのこの考え方と手法を模倣した。そうして、日本中の川にダムができたのを私は見てきた。

当時私は文学上の師匠である開高健氏から、いつも釣りばかりしているのんき者ということで「あまごちゃん」というあだ名をいただいていた。そんなのんき者の私は、ダム問題には知らん顔をしていたが、とうとう、日本の真ん中にある長良川に河口堰(ダム)ができるということで活動を始めた。日本の大きな川でダムが造られていない川は、釧路川とこの長良川しかなかったのである。
長良川河口堰事業というのは、田中角栄氏が首相時代の1973年に金丸信建設大臣が認可したものである。目的は、当時の高度成長期における重化学工業用コンビナートのための取水であった。私は、大阪に住んでいる。この河口堰反対運動を決意したとき、私は地元にきちんとした核がなければいけないと思い、長良川の上流域から下流域に至る4つの都市に反対運動の支部をつくった。そして開高健氏を会長にして全国版の運動を開始したのである。次に私は、故三木武夫氏の夫人である三木睦子さんの家に伺った。日本の自然保護運動はもともと公害問題から発生している。公害時代に現在の連合にあたる当時の鉄鋼労連の委員長は、「私たちは加害者であって被害者である。だからみだりに公害運動に入ってはいけない」と発言をした。当時、組合は第一から第三まであり、第一組合は共産党や社会党左派で組織されていた。公害運動の被害者たちと行動を共にしたのが共産党か社会党左派だったので、公害運動はいつもアカ攻撃されてきた。釣りばかりしていた私でもそのくらいのことは分かっていたので、私は、建設が始まった国家事業に楯ついて止めようという運動をするには、アカ攻撃を受けないことが重要だと考えた。1988年、竹下総理の後を海部俊樹氏が継いだ。海部氏は環境に造詣の深い三木さんの弟子だったので、私はその海部氏を説得しなくてはならないと考え、三木睦子さん宅へ伺ったのである。そしてそこで、鯨岡兵輔氏という元環境庁長官の協力を得て、国会の中に田英夫氏や岩垂寿喜男氏も含めた超党派の「長良川河口堰問題を語る議員の会」というのをつくっていただいた。その会は、議員259名の長良川河口堰反対の署名を集めた。一方、建設省は自民党内だけで330名の賛成署名を集めた。まさに国会は一河川の問題で二分したのである。これが、初めて国会に大きな環境運動が持ち込まれたことになった。次に私が取り組んだのは、環境ジャーナリストを味方につけたいと、理解を求めることだった。現在でも私が個人的にお付き合いのある約300名の環境ジャーナリストの方々へ、私たちのさまざまな活動の案内を随時リリースしている。リリースしても10人来てくれれば良い方で、時間をかけて理解者を増やしていったが、そのためには長い年月が必要だった。新聞記者は何でも知っているという自負があるので、私のように自信ありげに行動する女性は、反発を買うこともしばしばあった。中傷もあった。男性中心のマスコミの世界で、活動を続けていくためには、大変ではあるがとにかく「めげないで、なついていく」ことが重要であると学んだ。
運動を始めた1988年は地球環境年の始まりであり、1992年には地球サミットがあった。ようやくマスコミも環境記事を大きく書けるようにな社会背景が整いつつあった。

これらの活動を振り返ると、おおよそ「失敗から学んだ」と言えるだろう。私は一人っ子でわがままな人間だった。そんな人間が河口堰反対の事務局などを始めたのだから、始めのうちは失礼なことばかりしていて、多くの人を怒らせてしまった。次第にさまざまな方達との関わりのなかで多くのことを学び現在に至っている。

私は、日本の環境NGOの弱点は、「小異も捨てられないし、大同も結成できない」ということではないかと思っている。これは、今までの私自身の反省を持って考えていることだ。環境運動をやる人は、自然や自分の身の回りの細かなところまでに目がいくとても繊細な人が多い。そういう人は、他人からの攻撃に弱い。だから、自分が伝えたいことを他人が受け取ってくれなかったり、人がこうしたいと言ってきたことが自分と合わなかったりすると、そこで袂を別つてしまう。それでは活動は大きくならないのである。私たち環境NGOは、生物の多様性を認めようと政府や企業に働きかけているのであるが、その私たち自身が実は一番多様性を認めていないと言えるのではないか。



2. 21世紀に私たちが取り組むべきこと

21世紀の環境問題への取り組みとして、先進各国は、「気候変動枠組み条約」という名の元で、多少の温度差はあっても前向きに取り組もうして、それが「川の再自然化」という政策もとらせている。が、日本は今だに20世紀型の開発を続けようとしている。私達がやらなくてはならないことは、これまでの20世紀型の開発をもう止めるべきだと国民一人一人に理解させ、最終的に51%の合意形成を得ることだ。特に、公共事業を国民の手にとりもどすことが重要だと考えている。
冒頭申し上げたように、ヨーロッパでは「治水によかれ」と思って取り組んできた近代河川工法から、自然のダイナミズムを復元させる政策に転換しようとしている。アメリカでは1994年に、「ダム開発の終了」を世界に宣言した。1993年にはアメリカ陸軍工兵隊は、その年のミシシッピー川の洪水について、これまで進めてきた「川の直線化」が引き起こしたものだと国民に謝罪した。

日本でも1997年の河川法改訂において、この100年間入っていなかった「環境重視」や「住民対話」という文言が入ったり、伝統工法の見直しにも着手しつつある。
2000年暮れ、建設相の諮問機関である河川審議会は、省庁再編成前の最後の答申で、「川はあふれる」ことを前提に「洪水と共存する治水へ」と抜本的転換を図った。
しかし、建設省、運輸省、国土庁、北海道開発庁が合体し誕生した「国土交通省」は、すぐにダム建設を廃止に方向転換していない。長良川でも、吉野川でも、川辺川でも、長野県でも、市民と河川工法の攻防が続いている。

私たちにできることは何か。私は、まず自分が読んでいる新聞に投書をすることを提案したい。読んでいる新聞を点検して、各政党の方針がどのように書かれているか、点検してほしい。私もメンバーの一人である民主党代表の諮問委員会「公共事業を国民の手に取り戻す委員会」が進めている「緑のダム構想」の記事は掲載されていたかどうか、また掲載されていない場合、なぜなのかを、投書していただきたい。新聞は”政局”は書くが、各政党の政策をきっちり載せるという最も大切なことをやっていないことを問うてほしい。省庁再編成によって国土交通省というとんでもなく巨大な開発官庁が出現した。環境省はできたが、厚生省や通産省と一体になったので、かえって悪くなったのではないかなど、チェックしてほしい。
また、各政党にはホームページがある。ホームページに意見を出したりメールやFAXをしてみてはいかがだろうか。社民党では一日に50通以上の同じ意見が寄せられるとそれは国民の世論だと受け止めてそのことについて検討するらしい。他の政党も同じではないだろうか。
一人一人が21世紀をどのような世紀にしたいのか。自分ができることから逃げないで、参加していただきたい。



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