カンパをお寄せくださった皆様へ


 残暑お見舞い申し上げます。この度はカンパをお送りくださりありがとうございました。
暑さを吹き飛ばすかのようなエネルギッシュなゲストの方たちを迎え7月の7日、8日の両日“長良川DAY”も「シンポジウム」も多数の参加者で会場は熱気に包まれ、大成功のうちに幕を閉じました。

初めて参加された方が多く、北海道から参加された女性だけの市民団体の方達は揃いのTシャツを着て、『とても有意義でした。なにか元気を貰ったようです。』と言って帰っていかれました。
またある地域のオンブズマンの方は「35年ぶりにデモに参加して新たな勇気を貰いました」というお手紙を頂きました。
そのほかにも喜納さんとデモの行進をして河口堰の上で、みんなで「花」を唄えたことがとても感動的だったというご意見もたくさんいただきました。今年の“長良川DAY”は本当に人と人との繋がりが、大きな力になることを感じることができたすばらしい2日間でした。

しかし、反省するべき点もありました。ゲストの方やNGOの代表の方に話していただく時間が短かった事です。
もっと十分な時間をかけて話をしていただくべきでした。
なかでもオランダから来てくださったヘンク・サエージ教授のお話はこれからの日本にとって、政府とNGOが協力して事業を行っていく上でとても重要な意見を述べてくださいました。

それは、ダムや河口堰というものだけを見ていてはいけないという事です。
もっと、川全体の水の管理という大きな見方をしなさいというものでした。
「我々の現代社会ではダムはなくてはならない一方でダムは生態系的、社会的、経済的にさまざまな問題を引き起こしている。
そして我々はそれと共に生きねばならないのである。
とにかくダムに焦点をあてるのではなく水系とその水資源管理に焦点を当てよう。」というものでした。
今ある長良川河口堰を利用しながら治水も環境も考えた上で汽水域を回復する事を考えなさいということでした。
最後にサエージ氏が長良川を見た印象をご紹介します。



 私の見た長良川の印象      ヘンク・サエージ

 長良川には全ての人間の介入を考慮に入れ、適切な管理母体による流域全体を通してのしっかりとした水系管理が存在しないように見える。
水は人間の使用のための資源としてしか見られていないようだが、生態系の中で重要な役割を果している点はどうなっているのか。
長良川河口堰は淡水と海水の間においてはっきりとした線を引いてしまった。
それにより汽水域(次第に淡水に海水が混ざっていく部分)が失われてしまった。
結果として自然の生産性が減少してしまった。
健全な長良川の機能は汽水域と潮の活動を取りもどすことにより果すことができるようになり、隠れている資産、自然がうみだす宝を表にだしてやることができるようになる。
この宝は、今はどこかに行ってしまっているが、必ずや地域の経済、生態系、社会にとって重要な役割を果すことができ得るはずである。
生態系的に見れば、長良川河口堰は時代遅れである。私と共に日本にきたウェグナー氏も同様のことを言っている。
もし、長良川の河口部が30kmに渡って再生されたら、自然による生産物の売上高は年間で3600万ドルとなろう。 
もし長良川河口堰のような事がわが国で起こったらどうしていただろうか。
多分私としては以下のような助言をするだろう。   

 長良川河口堰を真剣に考え直さなければならない。
ダムがあろうが無かろうが、淡水と海水が次第に混ざり合う汽水域を回復することを考えるべきだ。
地域全体の発展や管理を考えて長良川河口堰の役割を考え直さなければならない。
そしてその選択が汽水域の回復であるなら、その実施は実験から開始し,慎重に行わなければならない。



 2日間のシンポと“長良川DAY”を終えて感じたことは、「ゲートを上げる」ということが夢ではなく、現実におき得ることとして多くの人に受け入れられたという事でした。
夜の野外会場で喜納さんの歌を聞きながらいつも公共事業の事をわたしたちに話してくださる五十嵐敬喜先生がにこにこしながらこうおっしゃいました。
「大変だろうけど着実に成果はでている。続けることが大切だよ。これが生きているということなんだよ」
ステージでは喜納さんの歌に田中康夫さん、近藤正臣さんをはじめたくさんの参加者の人たちが舞台に上がり夜遅くまで踊り明かしていました。
運動はつづきます、ひきつづき応援してくださるよう心からお願い致します。

                       
長良川河口堰建設をやめさせる市民会議
公共事業チェックを求めるNGOの会
“長良川DAY”スタッフ一同

 


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