21世紀の公共事業

天野礼子(アウトドアライター)


先の衆議院選挙で争点となった"公共事業"。
時代が変わり、当初の目的が失われても、何十年前の計画のままに進められてきた国の公共事業が、地方財政と国の財政の足を引っ張っていることがようやく明らかになった今、求められているのは、"公共事業の質の転換"だろう。

 20世紀に世界の先進国は、繁栄と引き換えに地球を"絶滅の危機"に追い込んだ。自然はもう後ろのないところまで開発されし尽くされ、20世紀末の今日、日本以外の先進国では、特に自然破壊の象徴としていた"河川開発"にメスが入り、アメリカは1994年に「ダム開発の終了」を世界に宣言して、ダム計画の中止、工事の中断から、今はダム撤去へと向かっている。

アメリカで、2000年5月までに撤去されたダムの総数は469。
1999年6月には、メイン州のケネベック川のエドワードダムの撤去が、ダム撤去に関する全国的な関心を引き起こし、以前は非現実的で急進的な選択肢だと思われていたダム撤去が、川の再生のための実現可能で合理的な選択肢として広く認識されるようになった。
 ダムの撤去は新しく始まったことではないが、エドワードダムの撤去が全国的に脚光を浴びたことは、川の再生化の宣伝の助けとなった。地方自治体などを含むダムの所有者や州や連邦の行政府や議会や保守的な組織においても、不要なダムの撤去はますます共通の話題となっている。
 さらに19のダムが、2000年の夏から秋にかけて撤去される予定である。

一方、ヨーロッパではアメリカよりひと足先の1980年代の終わり頃から河川政策の見直しが進んできており、一番新しいニュースでは、オランダで今年5月に、ライン川の最河口部のデルタ地帯の河口堰のゲートが2005年に開けられる決定が下された。
他にも、"川の再自然化"といった、治水のためと称してまっすぐにしていた川に蛇行を取り戻し、洪水氾濫原を川に再生することによって、かえって洪水が増えていた川の治水上の危険を緩和し、"自然のダイナミズム"をも復元させる政策がとられ始めている。

我が国では、筆者らが1996年にアメリカを訪れ、河川政策の大転換が進んでいることを広め、建設省が百年間使ってきた「河川法」に、翌97年3月に"環境保護"と"住民対話"の重視を盛り込ませるに至った。

 そして今や、自民党の"ミスター公共事業"と称される亀井静香政調会長(元建設大臣)でさえ、「中干拓事業の中止」や「吉野川可動堰事業の中止」を宣言し"公共事業の質の転換"を打ち出さざるを得なくなっているというのが日本の現状だ。

 21世紀は、"自然再生"が公共事業のキーワードであり、不必要な公共事業をやめて自然を回復させると共に財政を助けることと、反面、国民負担が増えても自然を再生させることの両方が"世界の潮流"となる。

この6月26日から7月11日に、ドイツ、オランダ、オーストリア、イギリスを訪問し、最新の河川と公共事業の現状を見てきた。



@ 21世紀の公共事業「ヨーロッパの川のよみがえり」

(A) オランダ ライン川のデルタ地帯の河口堰が2005年に開けられることが今年5月に発表された。

 1953年に1800人以上が死亡する洪水が起こり、それを理由に1970年に、ライン川の最河口部のデルタ地帯に河口堰が造られた。河口堰は海水の浸水を防ぎ、洪水調節のための浚渫を可能にし、農業が淡水だけでおこなわれることを可能にし、水質管理を可能にするはずだった。
 しかし運用後、1年でアシ原が消滅し、1970年代から水質についての問題を生じ、80年代にはヘドロが問題となり、これまでに7メートルものヘドロがたまっている。
 80年代にはEC(後にEUになる)で「表層水公害法」ができ、各国が水の危険物質を勝手に捨てることができない取り組みも始まり、80年代の終わりには河川政策の変革が行われた。
 オランダは特に、ライン川の水をさまざまに使う国々の最終地点であるため、特に河口堰(河口ダム)に水を貯めて使うことの危険性や、たまるヘドロの危険性について近年議論が高まり、とうとう今年5月にこの河口堰のゲートを2005年に上げることが決定されるに到った。
しかし、これだれの水門を急激に上げると、それによる被害がかえって大きいことも予想され、漁業者や農業者に支払わなければならない補償が高くつくため、段階的に、そしてゆっくり2015年までかけて開けられることになっている。ゆっくりでも魚の海と川との行き来や自然の浄化力は取り戻せるし、塩害も少しで済む。

(B) ドイツ ライン川上流ではこの数年間で、「河川の再自然化」や「洪水氾濫原の回復」が進んでいる。今後13カ所の「川の洪水氾濫原の遊水地化」が予定されている。

 川を真っ直ぐにし、ダムで治水をするという近代河川工法が、ダムの下流でかえって洪水を起こしやすくしてしまったことは、アメリカでも近年、"治水"を担当してきた陸軍工兵隊が、1993年のミシシッピ川・ミズ−リ−川での洪水時に国民に対して謝り、あきらかになったが、ヨ−ロッパでも各国で同じことが起こり、「ダムによる治水には限界があり、川の直線化やダム建設によって進んだ自然破壊」が川の本来持っていた浄化力やダイナミズムを殺してきたことが問題となってきた。
 ダムの下流で洪水が却って起こりやすくなり、近年各所で工場や住宅地に被害が出たことをきっかけにして、洪水対策と自然回復を複合的に行う決定がなされるにいたった。ダムの上流では遊水地を造ったり、下流では堤防を低くして洪水を入りやすくし、洪水氾濫原で洪水を受け止めらけるようにしている。

(C) WWF(世界自然保護基金)氾濫原研究所

上部ライン川では、
1817〜1878年に@洪水予防A農地の獲得B国境の取り決め、のために河川開発がなされた。
1906〜1936年に@低水位工事がなされA水制(川に対して垂直に障害を造り、流水を和ら げる)が造られた。
1937〜1977年に@水力発電Aダム建設が進んだ。
などにより、川が地面より上をながれているという状況になった。そして、氾濫原が減少したことによって、下流に洪水被害が却って起こるようになり、ここより200キロ範囲で問題が生じた。
 2800キロメートルのドナウ川でも同じような問題が起こり、デルタ地帯に対して流域の全ての国(ドイツ、オ−ストリア、セルビア、ハンガリ−、ル−マニア、ブルガリア)が集まり、氾濫原に関する話し合いを15年かけて行い、1999年に終了している。
 WWF氾濫原研究所は、5000平方キロメ−トルのデルタ地帯の自然を取り戻す事業に取りかかっている。将来は氾濫原の復活だけでなく、ダムの撤去も視野に入れなければならないだろう。少なくともヨ−ロッパでは、これから新たなダムの建設はないだろう。

(D)  ドイツ・ミュンヘン イサー川。都市近郊の河川の"近自然工法"による自然の回復。

1992年から日本の建設省も"多自然工法"と称して取り入れている"近自然工法"による都市近郊小河川の自然回復。
人々が水辺で遊ぶようになり、「これが川だ」とも言える川の風景の原風景も手付かずで残り、「川が生きている」ことを市民に知らせた。

(E) オ−ストリア・ドナウ川 WWFオ−ストリアによる氾濫原の買い取りと自然再生プロジェクトがきっかけとなり、大きな氾濫原全体が「ドナウ川国立氾濫原公園」となった。

 まずWWFオ−ストリアが400ヘクタ−ルの男爵の森を買い取った。そして、堤防の内側の森の中にあった小さなダム群を壊し、本流との堤防も低くして、大きな湿地帯を復活させた。そしてこの湿地帯の森の中に川のダイナミズムを取り戻し、川の浸食力を利用して、湿地全体が自分の力で自然を取り戻していくことを人々に見せた。
 そこで、このプロジェクトに最初は賛意を持っていなかった農民も、自然が回復するのを目にして理解を示すようになった。何故なら彼らは元々この氾濫原(湿地帯)で漁も営んでいた人間だったからだ。
"成功"が目に見えると、ここが国立公園になるにはそうかからなった。もっと早く結果が出ることを多くの人々が望むようになって、「政治」が動いたからだった。

(F) オーストリア ウィーン川修復プロジェクト。


 新しいドナウ島(ドナウ川支流修復プロジェクトによって造られた島で、運河と氾濫原を仕切り、ドナウ島自体も遊水地として使用され、普段は市民のいこいの遊園地や水泳のリクレーションの場所となっている)の建設と洪水氾濫原の再生。

 自然を取り戻し、憩いたいという市民の願いと、川を人工的にしたことによってかえって頻繁におきるようになった洪水を防ぐ。



A21世紀の公共事業「自然再生と21世紀型の地域おこし」

 ドイツ南部ルール地方エムシャー川流域に11年前に始まった、過去の開発の遺物を利用した21世紀方の地域おこしと、それにともなった自然再生のモデルが、99年に完成を見た。

 東西80km、南北30km、面積およそ800平方キロメートルに及ぶ広大なエムシャー川流域を、18の自治体とドイツ、EUが参加して、「19世紀の開発モデル」としての昔の鉱工業地帯を、景観の上では保存し、土地を4メートル掘り、1平方メートルに200ドイツマルクの資金を投入して浄化し、祖全を19世紀以前のように蘇らせ、川を復活させつつある。「21世紀の生き方」を教える、公共事業モデルである。

 ドイツ南部のルール地方は、1900年から1960年に25万人の炭鉱夫を抱え、60万人の家族、100万人の鉄鋼産業地であった。第一次、第二次大戦中は、軍需産業の中心地でもあった。
 今はこの南部は、石炭は地表に出尽くし、北都地方の1500メートル地下から石炭が掘られるようになって、炭鉱夫は6万人に減少し、石炭産業そのものが、一人につき10万ドイツマルクの補助金を得るような産業に衰退している。
 この地域を社会政策として救済するために、まず@新しい4つの大学が造られ、A公共インフラの整備が考えられたが、11年前に地方のイメージの変革策として、この、外部からの投資がこない、汚い、暗い地域に、内発的発展の方法が編み出された。
 それがすなわち、IBAエムシャーパークである。これはドイツの歴史的遺物を生かし、多くの自治体や、参加する企業の負担によってエムシャー川流域一帯の自然をまるごと浄化し再自然化させることであった。
 代表的なモデルパークをいくつか取材した。


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