ダムの堆砂の現状と黒部川

天野礼子(アウトドアライター)


黒部川で起こっていること
明治維新の近代河川工法導入によって、この100年間におよそ2800個のダムが日本中につくられてきた。しかし、ダムを造ってきた電力会社や建設省は、ダムが砂で埋まることについての対策をこれまで真剣に考えてこなかった。それは1985年に黒部川に完成した出し平ダムが、わが国で初めての、排砂ゲートをあらかじめ持ったダムであることを明らかにすることだけでわかる。
 そして1991年12月、その排砂ゲートを使った日本のダムの初めての排砂が、予想外にヘドロによる被害を与えたこと、さらにその被害を契機に翌年9月にやっと「黒部川出し平ダム排砂影響検討会」が組織されたことを見てもわかる。黒部川河口の富山湾の漁師たちは、いったんは自分たちも判を押したのだからとあきらめかけていたが、この9年間に被害がますます重症になり、漁獲高が4分の1に激減するに至って、「食ってはいけない」と立ち上がった。
 そして建設省が行う、出し平ダムとその下流に今年完成した宇奈月ダムからの、世界で初めてという2つのダムの連携排砂を止めるために、各界の協力を求めて行動している。

堆砂の現状
 明治期にヨーロッパより近代河川工法を、戦後にはヨーロッパと同じくモンスーン国ではないアメリカに巨大ダム造りを学んだ日本は、雨の多いわが国で、雨の度に山から土砂が出ればどうなるか、ダムを造るために、本来は"緑のダム"であった山の斜面の木を何キロにもわたって切ってしまい地表を表出させていれば、雨の度にその斜面が削られて、ダムに大量の土砂が直接流れ込むなどにより、ダムへの堆砂が早晩問題となるのではないか、という心配をしなければならないことを先送りしたまま、ダムを造り続けてきた。
 1990年に総務庁が行った行政監察によると、調査対象の全国758のダムの四分の一で、当初予想の二倍以上のスピードで堆砂が進んでおり、堆砂率70%以上のダムが16ヶ所あった。
 最大の堆砂率は大井川支流の千頭ダムの98%だが、大井川ではこれまで流域に13の発電ダムが造られ、上流のダムで使用された水はほとんど川を流れず、次のダムまでは山中のパイプを流されてきた。このため、川にはほとんど水がなく、"川原砂漠"と称される砂塵被害と、ダムの上流では次第に川床が上がり、わずかな雨でも堤防から水があふれ、床上浸水の水害が繰り返されるようになった。 海岸では、海の漁師が「ダムができた数十年の間に、海岸線が250bぐらい後退し、海の漁獲量は三分の一になった」と憂える。
 同じことは日本中の海岸線で起こっており、1998年までの15年間の平均では、全国で毎年、160fの海岸線が消滅し、それ以前の70年間の年平均72fに比べて倍増している。
 同じ四半世紀という単位で日本の海の魚の生産量をみてみると、単純に堆砂だけの原因とはもちろんいえないが、1984年には1150万dで世界ナンバーワンだが、14年後の1998年には531万dと半分近くまで落ち込んでいて、世界一の海産輸入国となり下がっている。
 近年、1991年になってようやく建設省は堆砂解決のために、8つの地方建設局ごとに、1,2ヶ所の水系を選び、堆砂の解決方法を実験しているが、成功例はまだない。


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