VOL.20-1


二十世紀はどのような世紀であったか
沖縄大学環境科学教授 宇井 純   

 二十世紀をふりかえって考えてみると、戦争と革命の世紀であり、大規模な殺人と破壊をもたらした。二回の世界大戦は、軍隊だけではなく後方の民衆をも攻撃の対象とする総力戦となり、一億をこえる民衆の損失をもたらした。植民地の独立と内戦、それにつづく冷戦と代理戦争は、更に弱者に犠牲を押しつける結果になった。核による恐怖の均衡は、人類の滅亡が急性の核戦争の道をとるか、慢性の汚染によって起るかのいずれかではないかと思わせた。
 この中で日本だけは米国の核の傘下にあって、周辺諸国をまき込んだ代理戦争、朝鮮、ベトナム戦争のおかげで奇跡的な経済成長をとげたが、その過程で自然と人間を食いつぶし、はげしい公害を生んだ。人命にかかわる産業公害が何度もくり返して起ったのは世界で日本が初めてであった。一九七〇年代に世論の批判がきびしく企業に向けられると、石油危機を転機として公共投資が経済の主導権を担うようになった。この転換は自然を守ろうとする民衆の運動にとっては、不利な状況をもたらした。公共投資の流れについては、これを批判する世論の手のとどかないところで、官僚や業界、族議員などによって決定がなされ、副作用が生じても途中で修正されることがほとんどない。こうした長期計画の多くは、右肩上りの経済成長と土地の値上りが常識であった高度経済成長期に作られ、経済規模の無限の膨張を前提として作られた。そのため地球の有限性が明らかになった今日の現実とは合わない過大なものが多い。
 国民の中にも、高度成長経済のもとで大きいことはよいことだ、困難があっても技術が解決するという楽観主義が定着した。たしかに巨大開発を借金で行なっている一時期はその地域に好況がもたらされる。有力な政治家が地域に予算を取って来て手柄にして票を集める図式がこうして出来上がった。そのために自然を切り売りして土木工事の材料にする。日本中の海岸と河川はコンクリートで固められ、更に下水道で地下に川を作り出すまでに至った。生活基盤である上水道、下水道も広域化し、巨大化した技術の典型となって、水の使い捨て構造を作り上げた。大量生産、大量消費、大量廃棄の消費社会が、日本のすみずみまで行き渡った。地価の上昇は労せずして巨利を生むバブル経済をもたらし、一時日本経済は虚栄に酔った。食糧の自給率は四割を切るに到って、日本は世界中の農産物を買いあさる国になった。
 実はこの間に国家財政の借金は着々と増えていた。廃棄物は目に見えないところに積み上げられ、その汚染は飲み水の中に少しづつ流れこんでいた。焼却から生ずるダイオキシンは、母乳の中にもベトナムに次ぐ水準まで蓄積し、乳児の飲用に適しない濃度に達していた。長い間無限と信じられていた地球の環境も有限であることに世界が気づいて、炭酸ガスの排出に上限を設けなければならない時に、日本の産業界は最後まで抵抗したが、結局は世界の大勢に従わねばならなかった。大量生産、大量廃棄の生活態度には明らかに終りが来たのである。 
 第二次大戦中に少年時代を過ごした私には、今ちょうど第二の敗戦を前にして、これまでのやり方に固執する官僚や政治家、財界の動きが、敗戦直前の日本国政府の言動のくり返しのように見える。早く現実を認めればそれだけ損害が少なかったものを、目先の利害にとらわれて決断をおくらせ、国民に大きな損害を与え、その責任もとらなかった。その失敗をくり返さないためにも、私たちはみずから方向を選択し、正すべきは正して、子孫にまともな日本の国土を悔いなく引きつぐ時が来たのであろう。

 うい じゅん●プロフィール  沖縄大学環境科学教授、「長良川監視委員会」委員、一九七〇年より自主講座公害言論を東大にて開講、八五年まで続ける。七二年のストックホルムの国連環境会議で「コウガイ」と「ミナマタ」を世界に知らしめる。八六年より日本中で最も彼を必要とする沖縄での定点観測を続けている。


21世紀を回復の時代に
長良川河口堰建設に反対する会 事務局長 天野礼子  

「私達が問うたもの」
 私達“長良川”の運動は、長良川という美しい川一本を守るためだけではなく、ニッポンという温暖で四季の調和のとれた世界一美しい島国に、どうして誇るべき川一本も残っていないのかを問うてきた。それは、世界中の愚かにも自らを先進国と呼ぶ国々が、近代科学を駆使して、この二〇世紀の間に地球に対して何をやってしまったかを問うことでもあった。
 そのムーブメントの中で、私達自身も一九九四年に、アメリカがダム開発をやめたことを学び、実はそれが、一九八〇年代の終わりからのヨーロッパ、一九九〇年代からのアメリカの、潮流であることを学んだ。
 一九七〇年代には日本でも、宇井純先生らの、ミナマタを世界に問うた運動を始めとする対公害運動があった。アメリカではカーター政権時に、環境の観点から、ダム開発などが強く問われていた。しかし、一九八〇年代終わりにヨーロッパから始まった公共事業や河川政策を問う今の潮流は、実は環境問題だけではなく経済問題としても、各々の国々で、国民の大多数が支持し、政府も実行する政策となっているというところが、注目すべきなのである。すなわち世界中で、不必要でしかも自然破壊型の巨大公共事業が、“経済”の足を引っ張っていることが問題となっているというわけなのだ。

「二十世紀は“開発”の時代だった」
 二十世紀の中盤以降に、コンクリートとブルドーザーを駆使してこの国を開発尽くししたのは、いわゆる“田中角栄なるもの”。すなわち、岸、池田、佐藤から、田中、竹下、金丸と続いた自民党一党支配であった。
 しかし現在の日本の経済の困窮を見てみると、その支配がもたらしたはずの豊かさはどこにもないどころか、赤字国債として、少子化が予想される未来の子ども達へ大きなツケがまわされているとい う状況だ。わが国でも、世界の潮流と同じ動きが可及的すみやかに作られねばならないことがわかる。特に国土交通省などの誕生は、時代を逆行させることになるので決して許してはいけないのに、“政治”の現場にいる人たちに、その危機意識が希薄なことこの上なく、この国の行く末が危ぶまれるのだ。
 そんな心配から、宇井先生や五十嵐さん、筑紫さんらと「二十一世紀環境委員会」をつくったことは先回お知らせした。四月六日には、この委員会が、自民党・加藤紘一氏、社民党・土井たか子氏、共産党・不破哲三氏、民主党・菅直人氏、自由党・小沢一郎氏の他、公明、平和・改革、さきがけ、新社会党の代表らに、「国土交通省をつくってはいけない」という文を手渡したこともお伝えしたが、もう少しくわしくいうと、面会したすべての人物が、「国土交通省」なる巨大官庁の出現は問題だと答えたのだ。ではそれを含めた「行政改革法案」には各党どのような対応をしたのか。選挙をひかえて、改めて明らかにしたい。

衆議院
賛成/自民、社民、さきがけで成立。
反対/民主、自由、共産、平和・改革、新社会
参議院  
賛成/自民、社民、さきがけで成立。
反対/民主、自由、共産、公明、新社会
「“世直し”を始める選挙にしよう」
 アメリカで学んだことのもう一つは、彼の国のNGO達がこの二十年間以上、法律を一つ一つ作り替えて、現在の改革を手にしたということであった。NGOが研究者と手を携えて議員達を支え、議員立法を開発族議員につぶされてもつぶされても、続けてきたのだ。
 私達もそれに学ぼうと、昨年、五十嵐敬喜氏と共に私達NGOが、社民党と民主党に提案したのが、「公共事業コントロール法」であり、建設省の河川法改訂案よりも一歩進んだ「河川法改正案への対抗法案」であった。社民党はこの提案を蹴り、民主党は拾い上げ、国会に提案した。結果は、この時は二案とも共産党のみの賛成で廃案となったのだが、「公共事業コントロール法」は、次の国会で、形を変えて再提案されることになっている。四月六日には小沢氏もこの法律に賛同するといわれたので、次回はおもしろいことになるだろう。

 先般、実は後の世に、あの時が“時代の変わり目”であったと必ず認識されるであろう一場面があった。それは、「内閣不信任案」への共闘のため、菅直人を中心にして、右に小沢一郎が、左に不破哲三が(右、左が、それぞれの思想と違っていないのがおもしろい)並んだあのワンシーンである。
 時代の要求に応えるのが政治家の使命であるとすれば、この三人が、小異どころか大異までをも乗り越えて、ここへ並んだこのセンスこそが、二十一世紀が要求したものであり、三人はそれに見事に応えたといえるのではないだろうか。私はそう思う。

 さあ、選挙へ行こう。政治家達がガタガタ小異をぬかさずに、一本の矢となって、二十一世紀が要求している政治をするように要求しよう。国土交通省を含む「行革法」を改正させるのだ。そのかわり要求する私達市民には、彼らを必ず支えるという実行が反対に要求されるだろう。
 自分たちの力で、二十一世紀を「再生と回復」の世紀としようではないか。“世直し”の始まる第一歩の選挙だ。たとえここで決定的な勝ちをもぎとれなくても、次の時代への布石となる、そんな選挙にしよう。あなたの愛する人達に、このことを伝え、一人でも多くの人が確実に、自分の支持する政党をハッキリと持つように働きかけてほしい。
選挙に行こう。


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