VOL.21-1


誰が改革するのか
五十嵐 敬喜(法政大学法学部教授)

 公共事業を研究していると、いやでもいろいろなことにつきあわされる。昨年の夏から自治体の財政危機というのが目について、これは公共事業にとってエポックメイキング、全国の自治体で負担金が払えなくなって公共事業の返上が治まると思って追いかけていたら、昨年十一月から今度はとんでもないどんでん返しが始まった。それは政府が財政構造改革路線をすてて、景気対策と称して公共事業の大番振る舞いを始めたからだ。かくて今、日本は、まさに世紀末といった時期にふさわしい混沌状態となってきた。国のインフレと自治体のデフレ、片一方で完成まで一○○○年もかかるといわれるスーパー堤防に何百億円も注ぎ込まれるかと思えば、特養ホームの雨漏り修繕のための何十万といったわずかな費用が削られる。二万円の地域振興券なるものが配られるかと思うと、早くも消費税の大幅引き上げの話が出てくる。消費は美徳とはやしたてられると思えば、将来年金がなくなるので貯蓄が大事とさとされるといった具合だ。このような混沌をどう整理していったらよいか。
 私たちは先の「公共事業をどうするか」の延長上に今度『市民版 行政改革』五十嵐敬喜+小川明雄・岩波新書一九九九年)を書いた。この本も『公共事業をどうするか』と同じように、相互に何回も原稿を訂正しあいながらなんとか日本の先行きに対して筋道をつけることができたと思っているのであるが、前回よりもはるかに不安だ。
 それは、この本で書いたこと、すなわち最終的には官僚に代わって市民が政府に入り、公共事業から福祉事業への転換をしなければ「この国」はもたないということについてはいささか自信もないわけではないのだが、それでは誰が実現していくのか、ということについてどんどん手がかりがなくなつていくからである。
 大学で授業をしたり各地で講演したりするとわかるのだが、例えば自治体や国の財政危機について話をすると、きまって反応二つに分れる。だから私たちがこのような病気を治さなけれぱならないのだというものと、だからこのような病気から自分の身を守らなければならないというものたが、最近は前者のように考える人が少なくて、ほとんどが後者になるのであった。
 実際、国と自治体あわせて六〇○兆円の借金をどうにかしろといわれたって、誰もどうしようもないし、これから毎年三○兆円ずつ借金が膨らんでいく等といわれれば、総理大臣といえども全くのお手上げなのだ。
 「第二の敗戦」「分水嶺を越えた」「なるようにしかならない」というのは、真実正しい。従って、まずは誰でも自分の身を守らなければならない。しかし、それだけでよいのだろうか。それでも公共事業にかかわっているというのは、やはり自分の身を少しは犠牲にしても病気をなおすために少しでも努力することが正しいことなのだということを実感させてくれるのである。何故ならそれか生きているということだから、と自分は教えているつもりなのだが、わかってもらえているのかどうか。日本の危機というのは、こうしてみんなが自信を喪失していくなかで深まっていくのかもしれない。
 市民は新世紀にまにあうのであろうか。


夜の藤前干潟。諫早湾での干拓着工により干潟保全を求める国内外の声が高まり、藤前は救われた。

Photo by 伊藤孝司



行動し河口堰のゲートを上げよう
長良川河口堰建設に反対する会 事務局長 天野礼子  

 一九九三年にアメリカ開墾局の総裁になったダニエル・ビアード氏は、環境派のコア副大統領が送り込んだNGO出身者。当時アメリカは、役人の給料が払えないような財政難で役所の窓口も閉まったほどだ。アメリカでは近年”“サンセット法”なども成立していて、一定期間実行されていない公共事業にメスが入るシステムができつつはあったが、抜本的な改革が必要とされていた。
 七月にはミシシッピィ川で大氾濫がおこり三ケ月も水がひかず、治水担当の陸軍工兵隊は、自分たちが進めてきた堤防に頼る治水が、かえって洪水氾濫原に人口を集中させてしまったのだと反省した。
 そこでビアードさんは十一月に世界にむけて「アメリカのダム開発の時代は終わった」と宣言し、ダムのリストラを断行したのだ。

 わが国の昨夏の地方財政の破綻の発表は、この九十三年のアメリカと考えるべきである。アメリカはあの時役所を閉めて国民と役人に危機感を植えつけ、不用でしかも自然破壊と批判されていた事業を徹底的にリストラし、その金を必要な事業にまわしたのだ。
 日本でも、中央と地方で急ぎやるべきことはこれだ。林野庁の職員をリストラしたり、水産大学を民営化したり、環境庁を環境省にしてもほとんど予算をつけない今度の中央省庁改革案は、二〇世紀を反省している世界の潮流にも反している。
 国土交通省などという巨大開発官庁を誕生させるのでなく、建設省や国土庁や運輸省(これらが国土交通省をつくる)をむしろリストラして、その人と予算を、必要な事業にまわすのだ。それを地方分権と共に行い予算の他に権限も地方へ渡せば、地方議会ならば市民び望む事業か可能となりやすい。

 それでは「誰が改革するのか」と五十嵐さんは私達に問う。NGOも議員達も、自民党と官僚の中央省庁改悪のスピードに全くついてゆけていない。マスコミもしかり。はっきりいうと、危機意識が、あちらさんほどはないということだろう。むこうは必死で、さまざまな応援団を経済界に作らせたり、知識人を取り込んだりしているというのにだ。
 もちろん五十嵐さんも私も手をこまねいているわけではない。五十嵐さんは自民党に対抗する勢力へ、中央省庁改革案の各法律に対抗する法律を提案し、私は「二一世紀環境委員会」で「公共事業問題の解明と解決のためのフロジェクトチーム」をつくり、二一世紀に山河を回復させる法リストを急ぎ作っている。しかし問題は、他にこんなことを猛スピードでやっている勢力がないということなのだ。
 「もう、国家転覆しかない」。中央省庁改悪を、実施される二〇〇一年一月一日までに止めるには、自民党政権を倒すしか、私達が「間に合う」方法はない、と私は思う。
 幸い弘達には「統一地方選挙」というカ−ドがあるのだから、このカ−ドを切れば良いのだ。そして地方選挙での数を背景に、対自民で結集する「菅政権なるもの」に自自へ総選挙をせまらせるのだ。総選挙は小選挙区制だから、自分の一票を死に票にしない方策を各自が考え、時には支持政党でない野党へでも入れるなどの知恵を出して、闘うのだ。知事選などでの与野党相乗りは拒絶しよう。
 こうして自民党を倒せば、長良川も諌早も救える。吉野川第十堰改築も川辺川ダムも止められる。菅さんが私にそれを約束しているし、今国会でも彼は、従来型の公共事業をやめて福祉などの新しい産業に金をまわすべきと発言している。野党の問では、ほぽこの考え方が広まってきているのだ。

 長良川河口堰を運用する時、当時の建設大臣野坂浩賢は「被害は軽微なので、運用する」と言った。モニタリングがダムでは初めて五年つけられたが、お手盛りの委員会で、これでは救えない。
 今年七月六日、運用されて四年をむかえる。最後の一年になるわけだ。
 三月二八日には生態学会が意見書を出す。はたして環境庁は動けるか、藤前のように。
 国会内に再び超党派の「長良川を救済する議員の会」を設立してもらう。皆さんが選挙でがんばれば、環境庁も議員達も解決に動くだろう。
 子供がいて家の中でしか活動できない人は、環境庁へ手紙を書いてほしい。選挙にいく前には地元の議員達全員に電話をして「自然を守ってくれるなら入れる」と言って下さい(こういうウソはゆるされるのです)。いそがしくて何もできない人は、どうかビデオ作りと国際会議にカンパを寄せてほしい。

 あなたの小さな行動が「改革」を実現するのです。

 環境庁住所 〒100-8975 千代田区霞ヶ関1−2−2


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