VOL.24-1


「公共事業変革の嵐」
長良川河口堰建設に反対する会 事務局長 天野礼子

 私たちが、1988年の長良川河口堰着工と同時に作った風が、やっと嵐となって、衆議院選挙では“公共事業”が争点となった。この間の報告をしたい。

〈公共事業と財政破綻〉
 バブルの崩壊によって明らかになったのは、これまで各省庁より「三割自治」でよいからと引き受けてきた地方自治体の公共事業が、それらの自治体で大変な財政赤字を引き起こしていることだった。  まず悲鳴を上げたのは北海道。97年1月に堀知事は、「時のアセス」を道の全事業に掛けることを発言。千歳川放水路はこのアセスに掛からなかったが、知事が独自の諮問委員会を作って、これを中止にした。  同年12月には、橋本総理も「国の事業を“時のアセス”に掛ける」と発言。各省庁に事業再評価をさせ、地方自治体もこれに倣った。  しかしこの各省・各地での見直し委員会は、役人のお手盛りで、ちっとも見直しにならなかった。  各地で財政悪化が進行し、ついには「不要な公共事業をやめなければ、財政はやってゆけない」ことが、6月25日の衆議院選挙で問われるに至った。

〈河口堰運用5年〉
 96年の春にアメリカを見たことが、アメリカでダムの撤去が進む現状を日本中に知らせた。そこで今年はヨーロッパを見るために、河口堰運用5年目に関する当会のシンポジウムは、運用発言のされた5月22日に、桑名に民主党政調会長・菅直人氏を招いて行った。  建設省は、自分たちの時間だけやってきて「被害は軽微」と説明したが、直前にシジミ漁師と底質調査をした菅さんは、「このヘドロのどこが軽微な被害なんだ」と怒りまくった。  赤須賀漁協の青年部は、大漁旗を掲げて私たちと共闘した。この日はまた河口堰のゲートが降りて5年目の、私たちと赤須賀漁協の仲直りとなった。  民主党は、7月26日にも、ネクストキャビネットの社会資本整備大臣前原誠司氏、環境・農水担当の佐藤謙一郎氏らを派遣し、「被害は軽微ではない」「河口堰のゲートを3年以内に上げる」ことを発言した。

〈ヨーロッパの川の甦り〉
 衆議院選の終了した翌朝一番の飛行機で、私は五十嵐敬喜教授らと共に、ヨーロッパの河川事情政策見学の旅に出た。

オランダでライン川の河口堰が2005年に開けられる。河口堰は治水にもかえって悪く、環境悪化がひどいこと(ヘドロが7m堆積)が問題になったからだ。長良川河口堰も同じ状態である。 phot by 伊藤孝司

(1)オランダ  ライン川のデルタ地帯の河口堰が2005年に開けられることが今年5月に発表された。
 1953年に1800人以上が死亡する洪水が起こり、それを理由に1970年に、ライン川の最河口部のデルタ地帯に河口堰が造られた。河口堰は海水の浸水を防ぎ、洪水調整のための浚渫を可能にし、農業が淡水だけで行われることを可能にし、水質管理を可能にするはずだった。
 しかし運用後、1年でアシ原が消滅し、1970年代から水質についての問題が生じ、80年代にはヘドロが問題となり、これまでに7メートルものヘドロが溜っている。
 80年代にはEC(後にEUになる)で「表層水公害法」ができ、各国が水の危険物質を勝手に捨てることができない取り組みも始まり、80年代の終わりには河川政策の変革が行われた。  オランダは特に、ライン川の水をさまざまに使う国々の最終地点であるため、河口堰(河口ダム)に水を貯めて使うことの危険性や、溜るヘドロの危険性について近年議論が高まり、とうとう今年5月にこの河口堰のゲートを2005年に上げることが決定されるに到った。

(2)ドイツ  ライン川上流ではこの数年間で、「河川の再自然化」や「洪水氾濫原の回復」が進んでいる。今後この地域だけでも13ヵ所の「川の洪水氾濫原の遊水地化」が予定されている。
 川を真っ直ぐにし、ダムで治水をするという近代河川工法が、ダムの下流でかえって洪水を起しやすくしてしまったことは、アメリカでも近年、“治水”を担当してきた陸軍工兵隊が、1993年のミシシッピ川・ミズーリー川での洪水時に国民に対して謝り、明らかになったが、ヨーロッパでも各国で同じことが起こり、「ダムによる治水には限界があり、川の直線化やダム建設によって進んだ自然破壊が川の本来もっていた浄化力やダイナミズムを殺してきた」ことが問題となってきた。
 ダムの下流で洪水が却って起こりやすくなり、近年各所で工場や住宅地に被害が出たことをきっかけにして、洪水対策と自然回復を複合的に行う決定がなされるに到った。ダムの上流では遊水地を造ったり、下流では堤防を低くして河川の水を入りやすくし、洪水氾濫原で洪水を受け止められるようにしている。

(3)アメリカ  2000年5月までに撤去されたダムの総数は469。
  1999年6月には、メイン州ケネベック川のエドワードダムの撤去が、ダム撤去に関する全国的な関心を引き起こし、以前は非現実的で急進的な選択肢だと思われていたダム撤去が、川の再生のための実現可能で合理的な選択肢として広く認識されるようになった。
 ダムの撤去は新たに始まったことではないが、エドワードダムの撤去が全国的に脚光を浴びたことは、川の再生化をアピールする助けとなった。地方自治体などを含むダムの所有者や、州や連邦の行政府・議会・保守的な組織においても、不要なダムの撤去は共通の話題となっている。
 さらに19のダムが、2000年の夏から秋にかけて撤去される予定である。

〈亀井“抜本”委員会は何故できたのか〉
 先号にも書いたが、亀井さんには、吉野川の住民投票が行われる4日前の1月19日に面会を求め、
(1)投票率が50%に達しなくても投票用紙を焼かず、結果を分析してほしい。
(2)21世紀は20世紀にやりすぎた開発を“癒す”世紀にすべき。
 “国土交通省”の出現が止められないとすれば、せめて国土交通省は国民の理解と負担を得て、自然を再生する省庁となってほしい。そのためには建設省河川局と各地の川のNGOとの確執を2000年中に解くべき、とお話しした。亀井氏は私の面前で河川局長へ電話され、「中山建設大臣の態度は、私と河川局が97年に作った新河川法を踏みにじっている。誰が彼を焚き付けているのか」「いまどきダムを造って自然破壊ではないというのは通らない」と言われた。
  亀井“抜本 委員会は、亀井さんが世間に対して「国土交通省は亀井派が牛耳るよ」ということを示すためのものであると思う。
 亀井氏のモットーは「政治家の役目は、役人のできない判断をすること」である。しかし自民党政権ではやっぱりそれが難しいことは、“抜本”見直し委員会の結論が示したのではないだろうか。
 では“公共事業コントロール法”を私たちがプレゼントした民主党に、政権はとれるのか。
 12月17日は、皆さんの目で、自民党と民主党の“ミスター公共事業”の対決を凝視してほしい。 


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