VOL.25-3


ライン水域が持つ自然機能の経済的価値 ロッテルダム
エラスムス大学研究員 カーステン・シュイジ

   世界的な水危機が懸念されるなか、水管理問題に対する視点転換の必要性が高まり、集約的水管理への注目も高まっている。この視点の転換とは、水システムを技術によって完全に再構築・順応させることを目的とした「技術的アプローチ」から、自然の生態系機能が水管理上で重要な役割を果たすという認識にもとづいた、より生態系を重要視する「生態系主導型アプローチ」への転換を指す。

 生態系の経済的価値を算出する段階のひとつが、情報分析の1手段としての「費用対効果分析」である。大規模プロジェクトに関してすべての費用と利益が算定され、金銭的価値を判断され、その重要性が計られる。費用対効果分析の具体的な手法のひとつに、社会的観点から損益を試算する「社会的費用対効果分析」がある。プロジェクトによって損失した自然環境の価値もその要素に含まれるが実際には自然環境はほとんどの場合市場価値を持たないとみなされてきた。
生態系には(1)調整機能(2)運搬機能(3)生産機能(4)情報機能といった機能があり、人間も含めて地球の生命維持に重要な役割を果たしているのにである。

 生態系機能が消滅、あるいは損害を受けた部分を費用対効果分析の対象から除外すれば、その分析はずいぶん偏ったものになるだろう。そして長い目で見れば、いずれはその費用を社会全体で背負わなければならなくなるだろう。失われた生態系機能を人工の設備で代行したり、本来の自然の機能を取り戻すためのプロジェクトに投資する場合を考えれば明らかだ。

 参考までに、ライン川水域プロジェクトの一環として行われた「ラインデルタ自然機能回復事業」では、遊水地の保存や河川の拡張に18億ドルもの金額が投資された。こうしたことからも、費用対効果から環境的効果を除外する事は、社会にとって経済的に非効率的な結果となるのが分かるだろう。

 経済効率をより重視して政策決定をしようとすれば、社会的費用対効果に生態系機能を含むべきである。生態系機能が明確に社会的費用対効果に含まれる場合、これを生態系主導型費用対効果分析(ECO-CBA)と呼ぶ。

 ECO-CBAのポイントは、生態系機能に生態学的価値、社会・文化的価値、経済的価値などの経済的価値を与えることにある。経済的価値は、大きく実質的利用価値と非利用価値に二分される。

(1)実質的利用価値/魚、木々、水、及びレクリエーションといった環境の直接利用と、湿地の保水能力や森林の酸素生産能力といった環境の間接利用の2つの側面がある。

(2)非利用価値/a.選択的価値…環境を潜在的価値のあるものと捉え、保存しようとする意図によって特定された価値。例えば熱帯雨林を潜在的に医学的治療に効果のあるものとみなし、保存する際にかかる費用がそれに当てはまる。b.存在価値…生態系への関心、共感、尊敬といったもので、例えば森林の中を歩く楽しみなどがあげられる。

 ライン集水域の95%以上はスイス、ドイツ、フランス、オランダの5カ国にある。ライン川はもともと荒れ狂った蛇行する川だったが、農地開発や、川底の平坦化、堤防建設により19世紀以前に随所で改修された。ライン川流域では、1800年には600万人だった人口が、2000年には5000万人にまで膨れ上がり、今なお増加している。人口増加にともない、ライン川の資源に対する需要、そして安全性と運搬交通に対する需要もますます増えた。その結果、2世紀に及ぶ人間の川への干渉によって、ライン川は自然的機能が奪われた人造の川に変質してしまった。

 ライン川が重要な自然機能を持つことに関係各国が気づいたのは、わずか20年前である。1993年と1995年に起こったラインの洪水は、人工の洪水防護壁に頼るより、自然の遊水地や湿地の方が長期的な洪水管理にとっては重要となる事を痛いほど明らかにした。

 地球生物にとって自然の生水が持つ生態系機能は非常に大きな重要性を含んでいることを強調するため、世界自然保護基金(WWF)はライン川水域の持つ機能の経済的価値に関する研究を開始した。この研究は人類による生態系の開発が、生態系破壊という重要な犠牲の上に行われ(そして、その犠牲を社会が背負う)ているという実体を表すことにある。そして集水域の各国は、数十年前までは破壊してもよしとしてきた自然の生態系機能を取り戻すプロジェクトに大量の資金投資をしているのである。換言すれば「ライン川の自然機能は社会機能にとって重要」なのである。これは将来の河川開発にとって認識すべき貴重な教訓である。

 これまでの50年間で、ライン川が持つ自然生態系の機能は合わせて286億ドルの価値を生んだと推定できる。つまり、50年間にわたって人間がラインの生態系機能を侵害し、ラインの自然が持つ4つの機能、すなわち清浄な飲料水のための自然浄化設備、魚の生産、自然に本来備わっている価値、自然の保水能力の破壊によって生じた経済的損失はおおよそ286億ドルとなる。この試算に関する最終レポートは翌2001年の初めに出版される予定である。

 人間による生態系開発プロジェクトによって負の影響をうける様々な自然機能に経済的価値を設定することによって、この研究は生態系機能が失った価値を明らかにしようとした。これらの価値はあらゆる将来の政策決定過程や、ダム建設も含む、自然水域の管理過程においても認識されるべきである。なぜなら、人間の生態系開発によってもたらされた損失は社会全体が背負わなければならないものだからである。

 このように、生態系の経済的価値計算によって生態系機能を費用対効果分析に組み込むことが可能となった。そこで、この手法によってこれからは川の自然機能の破壊または損失に対する価値判断を、ダム建設などの政策決定過程に組みこめる可能性がある。もし実施されれば、大規模ダムなどのプロジェクトの意志決定を経済的見地から、より効率的に下すことができるだう。この価値計算はまた、日本のように自然の河川水域の価値をほとんど認めない国々にとって、これから最も重要なポイントとなるだろう。

 もちろんこの生態系の価値と明らかに結びついた費用対効果分析は長良川やその河口堰にも適用できるはずである。

*スタン・カークホフス氏とカーステン・シュイジ氏の記事は2000年12月17日東京九段会館にて、国際シンポジウム「21世紀の公共事業のあり方を求めて」での講演内容をまとめたものです。

■カーステン・シュイジ   Kirsten Schuijt ロッテルダム エラスムス大学 研究員

オランダマーストリヒト大学で経済学修士号を取得、1998年オランダ大使館の要請でケニア、東アフリカで熱帯湿地の経済的価値を調査。後、中央アフリカで自然の経済的価値に関する実地調査を行う。1999年よりエラスムス大学で環境科学の博士号取得を目指す。彼女の研究は水管理に伴なう資源の損失及び利益を金銭的価値に直して人々に提示するものである。


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