黒部川における“世界初”のダム連携排砂についての
富山湾漁師からの建設省河川局への申し入れについて


2000年5月31日
・富山湾刺し網部会連合体
・サポート 公共事業チェックを求めるNGOの会(405団体)


 1991年12月に、日本のダムでは初めての、排砂ゲートをあけての排砂実験が、黒部川
の関西電力の持つ出し平(だしだいら)ダムで行われました。
 日本では明治期より発電、利水、治水のためにダム建設が進み、2,800のダムがこれま
でに作られていますが、ダムを造ってきた建設省や電力会社はこれまで、@ダムに土砂が
堆まること、Aダム上流から運ばれるべき砂が止められ、日本中の海岸線が消失し、魚た
ちが産卵や育児をする藻場が消失して、日本の海の漁獲量がこの20年間の間に2分の1
になってしまっていること、を真剣に問題視してきませんでした。
 しかし、たとえば大井川では、98%まで堆砂が進んだダムなどがいくつもあり、ここ数
十年の間に駿河湾では250メートルも海岸線が消失し、海の漁獲高は14ものダム群が造
られる前に比べて3分の1になっています。
 そして日本中に、堆砂でほとんど使い物にならなくなったダムがたくさん横たわって物
質循環を妨げています。
 これらに対する抜本的な対策として考えられた方法の一つが、ダム本体に排砂ゲートを
つくり、大きな洪水を利用して、堆砂を海まで直接流すという方法でした。
その初めての実験地には、建設省の調査で“清流日本一”とされる富山県の黒部川が選
ばれ、関西電力の出し平ダムに1985年に初めて排砂ゲートが造られ、91年12月に日本
初の排砂実験が行われたのでした。
この実験はもくろみでは何も問題なく終わるはずでした。黒部川は出し平ダムまでは小
さな温泉宿が2軒あるだけで、ほとんど生活廃水が流れ込んでいないため、「流れるのは砂
だけ」の予定だったからです。
しかし、ゲートが開放されるや流れたのは、耐えがたい臭気のヘドロでした。川の魚も腹
をかえし、海の定置網の魚も浮いて、川や港の中は褐色、水辺に近づくとおびただしい臭
気がしたそうです。
そこで一週間の予定であった排砂は3日間で中止され、翌92年9月にやっと富山県は「黒
部川出し平ダム排砂影響検討会」をつくりました。95年4月にはそれが「調査委員会」に衣替
えし、毎年「試験」と称して排砂が重ねられてきています。
関西電力は「初年度の排砂の影響が強かったのは、排砂ゲートが使われなかった6年間に、
落ち葉などが腐っていたため。次年度からの影響はないはず」といっていますが、漁師は2
年目からの排砂も「臭く、ヘドロ状である」といい、漁獲高は激減しています。
漁師は関西電力との交渉を、各組合と県漁業連合会に任せていたため、白紙委任状を出
した自分たちがおろかであったとあきらめていましたが、被害が年々ひどくなること、昨
年の統一地方選時に、県魚連の会長を1数年、自民党県議を20年つとめた西島栄作氏が、
富山湾の漁師に対する補償金として関西電力より受け取っていた29億8千万円のうち、
被害を受けた漁民には4億8千万しか渡さず、自分の選挙対策として、入善町など1市2
町に8億円を寄付していた疑いがあること、またこの6月からは建設省が、出し平ダムの
下流に完成させた宇奈月ダムで、出し平ダムとの連携排砂を“世界初”の実験として行う
と発表したことから、このたび建設省河川局へ向けて中止の申し入れを行うことを決めま
した。

○ 河川局への申し入れ
・ 2000年6月2日(金) AM11:15〜11:45
・ 場所 建設省本省4階会議室
・ 申し入れ者
・富山湾刺し網部会連合体より 漁師8名
・「公共事業チェックを実現する議員の会」
 事務局長・民主党ネクストキャビネット環境農水大臣 佐藤謙一郎 衆議院議員
 共産党建設部会長 中島武敏 衆議院議員
・「公共事業チェックを求めるNGOの会」代表 天野礼子
・ 対応 建設省河川局


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