最終答申(その1)
公共事業の解体と再構築
〜「公共事業基本法」と「市民事業法」の提唱〜

2001年3月
公共事業を国民の手に取り戻す委員会



民主党代表 鳩山由紀夫殿

私たち委員会は、貴党に対して2000年11月1日に「緑のダム構想(意見書)」を、同12月15日に「公共事業を一から見直すために(中間答申)」を答申した。
今回諮問を受けて、いまだ回答をしていなかったものを含めて、これまでの答申を集約し、かつこれを一層発展させるために、「公共事業基本法」と「市民事業法」の提唱を中心とした最終答申(その1)を行う。
以下にみる通り、公共事業をめぐる状況の変化はめまぐるしい。それは戦後長い期間にわたって日本を支配してきた政・官・財トライアングルの崩壊過程を、まるでドラマの様に国民の前に見せつけている。いつまでたっても景気は回復せず、連日のようにおどろおどろしい犯罪が溢れ、責任を取る人は誰もいない。毎日報道されるニュースはいかにも低レベルで、これが日本の現実と知らされると、怒りを通り越して、深い哀しみや諦念の淵に佇む、というのが国民の率直な実感である。
しかし最近、わずかながら希望の光が見え始めてきた。国民の新たな選択は、徳島県の吉野川河口堰の住民投票に始まり、昨秋の長野県、栃木県の知事選で明らかな意思を示し、そしてその結果である田中知事による「脱ダム宣言」に、日本再生の夢を託し始めた。世紀末の昨年、国民は明らかに変革を求めており、その変革の方向性こそ日本を破綻から救う道だと私たちは考えている。
「脱ダム宣言」には私たち委員会の「緑のダム構想」などを受けた貴党のキャンペーンや運動なども反映されており、貴党はこの最終答申(その1)を受けて、より深く、より広い改革を国会・地方議会などを通じて国民に訴え、そして国民の審判を正々堂々と仰ぐことを要望する。
なお後述するように、公共事業の改革と再構築には、まだ膨大な検討事項が残されている。当委員会は今後も全力を尽くしてこの課題に取り組む決意であり、今回はその一部答申となった事を了とされたい。



                2001年3月
公共事業を国民の手に取り戻す委員会
座長  五十嵐 敬喜


「公共事業の解体と再構築」(要旨)

はじめに(略)

1.「公共事業基本法」
(1)改革の理念
 公共事業改革の理念として「財政規律の回復」「環境の維持と回復」「地方分権の徹底」及び「『自主選択』と『選択責任』」を掲げるべきである。

(2)法的な位置付け
 「公共事業基本法」は民主党が従来提出してきた「公共事業コントロール法」の延長線上にあるが、一層の包括的・抜本的改革を行うため、現行法を前提とせず、新たな社会創造のための公共事業のあり方を根底から見直すものである。

(3)個別政策について(主たる項目のみ)
@財政改革
 公共事業の削減に関しては財政投融資(特別会計を含む)や地方自治体による公共事業も対象とした法的な対応が必要である。またこの際、単に一律の量的削減に止まることなく、本委員会が昨年11月に「緑のダム構想」で提案した「ダム建設事業の前面凍結・緑のダム事業への転換」のような「質」の転換が、他の個別事業にも必要である。
A環境の維持と回復
 諫早干拓や長良川河口堰を見ても、我が国の環境政策の貧困さは明らかである。現在ある法律を、環境保護(回復)の観点から全面的に見直し、既存の法律では対応できない場合には、例えば本委員会が湾岸の環境を守るために提唱している「湾岸保全法(仮称)」などの新しい法律の制定を急がなければならない。
C「国営事業」と「市民事業」への分割
 現在の公共事業を国が行う「国営事業」と、自治体が行う「市民事業」に区分し、「国営事業」はプロジェクト方式を導入する。「市民事業」については後述。
D補助金の統合化と廃止
 「市民事業」を実現するためには、公共事業だけでなく、教育や福祉など全ての補助金を統合し、または一般財源の拡充とセットで廃止することが必要。
H国土交通省の抜本的改革
 これらの改革により国土交通省の改革も不可避となり、この改革の際には「地域に必要なものは地域が決める」時代に即した、中央政府の機関を検討しなければならない。

(4)「公共事業基本法」の法的性格(略)

2.「市民事業法」
(1)「市民事業」をめぐる環境(権限論と財源論)
 地方分権一括法が成立したが、地方が国に対して従属的な立場にある現状は変わりなく、特に公共事業の分野では著しい。この限界を乗り越えるために「市民事業」を提案する。
 「市民事業」は単なる公共事業計画ではなく、福祉や教育も含めた町づくり、住民の将来づくりそのものであり、さらに実行する事業論であり、市民がイニシアチブと責任を持つ自治体の組織を含めた政治論である。

(2)市民の政府(主たる項目のみ)
B「地方政府」から「市民の政府」へ
 市民は参加して政策を変えるというだけでなく、「パートナー」として行政と協動しながら、これまで市民が行うべきこと、行政が行うべきこととされてきた線引きそのものを変えようとしている。
 自由な地方政府の創設は、市民を「パートナー」を超える存在に変えていくだろう。すなわち、よりダイレクトに政府内部へ市民が参画していくのである。
C統治からの解放
 「市民の政府」では、「統治」の概念は廃棄され、市民が政策の実現主体となることによって、政策の主体と客体が一体化される。地域住民は常に主権者として「首長と議会」を監視し、彼らが信託に反した場合には、何時でも彼らと違った行動がとれると言う意味での「革命」が日常化され、合法化されるのである。
D政策は家族と生活、そして地域、自治体へ
 これまでの公共事業は国から自治体へ、そして家庭へと降りてくるものであった。市民の政府はこれを逆転させ、家族・生活から出発し、次第にこれを地域へ、自治体へそして国へと広げていく。市民は要望を出し、意見を言うだけでなく、専門的な知識や高い実業能力を持ち、自ら事業に参加する。少子高齢化、環境、生活の再建などはこうした市民セクターこそが取り組む格好の対象である。

(3)具体的なシステム
 市民の政府は町づくりの目標と方法を定めたマスタープランを策定する。マスタープランには、土地利用の方針等の原則の他、個別事業について場所、内容、費用、時期等が明示される。これは十分な住民参加のもとで策定され、最終的には議会において決定される。さらにプランの進捗状況や市民のニーズに対する適合性が常に市民の入った委員会で、点検される。

(4)条例
 情報公開、環境アセスメント等市民の生活と直接関わる分野では自治体の条例から改革が始まり、それが国に届いて法律となった。「市民事業」においても「市民事業法」だけではなく、自治体の積極的な「市民事業条例」の制定が、制度に魂を入れるために必要である。
 「市民事業」のプロセスは、「都市計画とその手続き」に集約することが望ましいが、現在の都市計画法体系では、自治体が積極的に条例を制定することができない。
@確立していない自治体の自主権
 市町村の仕事に対しては都道府県の、都道府県の仕事に対しては国の関与があり、さらに計画を事業として具体化する道路法等の個別法には、より国の関与が協力である。
A中央省庁縦割りの弊害
 法律解釈や予算(補助金を含む)における霞が関の縦割りが、自治体にそのまま持ち込まれており、現場における総合的な運用ができない。
B地方財政制度改革の遅れ
 「市民事業」を行うためには、補助金の統合化からはじめて、自主財源の確保に至るまでの改革を早いスピードで行う必要がある。

(5)NPO・NGOとの協動作業、「市民事業」の実験
 「市民事業」には自治体が直接行うもの、民営化するもの、第3セクターやPFIなどを活用するもの、そしてNPOに委託するものなどが考えられる。特にNPOへの委託は、福祉、既存施設の修復、ゴミ等の環境問題、伝統的な文化や祭りの復興に整合的かつ効果があがり、同時に高齢者、女性の参加が容易で雇用の範囲が拡大する可能性が高い。何よりも市民自らが事業の主役になることによって、プライドが高まる。
 「市民事業」の理念、原則、具体的内容は市民や議会の参加を得て、条例で決めていくことが望ましい。それぞれの地域で、それぞれの事情に適した「実験」を行うことによって、改革を促進するのである。

おわりに(略)

最終答申(その1)

―目次―

はじめに

1.「公共事業基本法」
(1)改革の理念
(2)法的な位置付け
(3)個別政策について
(4)「公共事業基本法」の法的性格

2.「市民事業法」
(1)「市民事業」をめぐる環境(権限論と財源論)
(2)市民の政府
(3)具体的なシステム
(4)条例
(5)NPO・NGOとの協動作業、「市民事業」の実験

おわりに



〜はじめに〜
 私たち委員会は、この最終答申(その1)を起草するにあたって、改めて昨年8月のいわゆる「亀井改革」以降の公共事業をめぐる状況と様々な動きを検討した。その結果、「亀井改革」に代表される政府与党の改革は、現在の日本の閉塞感を生んでいる構造の改革に何ら踏み込んでいないこと、そして真の改革には公共事業及びこれを取り巻く全ての環境に関する全面的な見直し、すなわち「廃止」と「再構築」が必要だと判断した。特に「中間報告」以降、この作業は単に公共事業を改革するというにとどまらず、日本全体の改革に直結しているとの感を深くした。
2000年6月の衆議院選挙直後、中尾元建設大臣は事業者に対する入札への便宜供与の対価を受け取ったとして起訴された。それ以降も、公正取引委員会が捜査する事件は絶え間なく、公共事業にまつわる談合構造が今も全く変わっていないことを国民の前に明らかにした。
 最近のいわゆるKSDをめぐる疑惑もハコモノ事業と補助金という視点から見れば、広い意味で公共事業にかかわる事件とみてよいだろう。また最近は西田元自治大臣が、自らが実質的に所有している建設会社に公共事業を受注させるよう関係機関に対して働きかけ、受注した工事を丸投げして莫大な利益を得、それを政治資金として使うという、典型的な政・官・業の汚職の構造(この事件は一人が政官業全ての役を兼ねるという意味で特徴的である)を示す事件も報道された。国民は公共事業に常に犯罪が寄り添うこと、国民の代表者が犯罪者であることを当然と受け止めている。近代法治国家でこのような国家があり得るのか、私たちはこのことを真剣に恥じなければならない。
「亀井改革」は、一見、自民党が公共事業の改革に乗り出すとの期待を高めた。しかしその動きは僅かな期間でストップし、かえって逆行するようになった。政府の2001年度予算案は、公共事業の総額を抑制するどころか、赤字になることが必至な整備新幹線事業の予算を倍増させるなど、あいも変わらず利権の構造が透けて見える。
最近さすがに自民党や官僚も、対話、参加、説明責任、政策評価など国民に耳あたりのよい言葉を吐かざるを得ない様になってきている。しかし有明海のノリ被害をめぐる対応にみられるように、ゲートを開くか否かも決められない。また無駄な公共事業の典型といわれる川辺川のダムでは、その効用を再検討するどころか、事業強行のための土地収用に乗り出す構えを見せるなど、強権的な姿勢が丸見えである。
本来このような混乱を是正すべき役割を持っているのが本年1月に発足した「国土交通省」であった。しかしここでは行政改革の目標であった「簡素化・縦割り行政の是正」などどこふく風であり、現場の混乱を放置し、旧来のままの法律と予算を執行している。
この間に見られる公共事業に対する政治の混迷、上辺だけの改革姿勢、虚言、強権、無反省は、政治の基本であり、根底である「国民からの信頼」を消滅させた。
 公共事業の罪悪の一つに巨額の財政負担がある。周知のように、日本は2001年度末で現在国と自治体あわせて666兆円の借金を抱え込み、その多くは公共事業の財源として借り入れたものである。国は未だに景気を理由に公共事業を拡大しようとしているが、さすがに自治体では自らの単独事業だけでなく、国からの補助を得て行う補助事業も、事業の中止あるいは再検討するところが増えている。先の田中長野県知事の「脱ダム宣言」は環境だけでなく財政を考慮したものでもある。そして、今まで土建政治に依存し、これを支えてきた人々でさえ、この方針の大転換に支持をするようになってきたことは、我が国の政治文化が、地方から、根底から変化し始めたことを示すものである。
 この大きな変革の流れの始まりは、公共事業に止まるものではない。宮沢財務大臣は、深まる財政危機、社会保障費用の増大を背景に、将来的に消費税率を2ケタにすることを示唆するようになった。
これに対して公共事業を大幅に削減し、それによって節約した費用を社会保障などにまわす(それは雇用を拡大させるだけでなく、消費を刺激し経済全体を活性化させる)という政策が、有識者から、NPOから、そして地域の住民から求められるようになった。最近のあらゆるアンケート調査では、国民がこのような政策転換を求めていることが、一層明らかになっている。既に「政策」は一部の政治家や官僚だけのものではなく、市民が自ら考え、提案している。そして市民が、その実施と結果に責任を負う気概を持つまで、あと一歩の所まで来ている。新たな世紀の幕開けと共に、日本に本当の自治が始まろうとしていると、私たちは考えている。
「公共事業基本法」は、これら最近の状況と動きを受けて、公共事業の抜本的改革のための道しるべとするものである。「市民事業法」は、市民のイニシアチブによって新しい事業を計画し実施していくためのものである。日本はこれによって「開発」中心で自然を痛め続けた20世紀と決別し、21世紀を、財政と自然、そして何よりも市民の自立と尊厳を回復させる世紀として進むことができるようになると信じている。
まず「公共事業基本法」から見ていく事にしよう。

 1.「公共事業基本法」
「公共事業基本法」は、公共事業改革に関する基本的で総括的な政策を具体化する法律である。そこでは改革に必要なすべての政策がルール化されなければならない。しかしながら、刻々と変転する状況、あるいは他の法律との整合性、政治的タイミング、そしてこれまで貴党が取り組んでいる諸々の政策との関係など、基本法の内容を左右する様々な要因がある。
しかしここではそれらの状況を一旦外において、本来、基本法に盛られるべき内容とその理由を体系的に整理することにした。
なお、以下の記述は当委員会がすでに答申しているもの、あるいは貴党においてすでに成熟した政策となっているもの、さらには社会的にみてほぼ合意の得られているものなどについてはできるだけ簡略なものにし、特に重要だと考えられる論点については、すでに論述されているものでも、重複をいとわずできるだけ詳しく述べる事にした。

(1)改革の理念
公共事業改革の理念として、次のようなものが「前文」に記載されるべきである。

ア)改革は財政規律の回復のために行われる。
政策として、投資額総量の抑制、年度ごとの削減、地方分権による財政責任の明確化などがある。
イ)改革は環境の維持と回復のために行われる。
政策として、環境アセスメントや今後実施される政策評価などがある。なお既存施設のメンテナンスが、近い将来大問題になるが、その際、環境の観点が不可欠となる。
ウ)改革は中央集権的なシステムを廃止し、地方分権を徹底するために行われる。
  政策として、全国総合開発計画の中止、16本の中長期計画の廃止、公共事業の「国営事業」と「市民事業」の二分割、補助金の統合化と廃止、特定財源の廃止、財政投融資(2001年4月から同特別会計)の段階的廃止、特殊法人と公益法人の改革、国土交通省の抜本的改革と関わる。
エ)新しい理念として、「自主選択」と「選択責任」が強調される。
政策として、情報公開、参加、政策評価(費用対効果分析、環境アセスメントなどを含む)等が一般的であるが、後で見るようにこの理念は、「市民の政府」と「市民事業」として、具体的化される。

(2)法的な位置づけ
貴党はこれまで二回、いわゆる「公共事業コントロール法」を国会に提出してきた。第一回目は、主として16本の中長期計画が、現行法上、最終的に「閣議」(ただし漁港法にもとづく漁港整備計画を除く)によって決定され、国民の代表である国会が関与できないとされている点に着目して、これを国会の承認事項として、計画を審議の対象にするほか、事業の前と後に政策評価を加えようとするものであった。第二回目のそれは更に、公共事業を国が行うものと自治体が行うものに、明確に区分するという点が付け加えられている。今回の基本法は、この二回の法案の延長上にあるが、現行法を前提とせず、新たな社会創造のために公共事業のあり方を根底から見直すものである。
 なお、この16本の計画(の根拠法)について、この基本法によって一括して廃止するというのも一つの方法であるが、基本法とは全く別個に一つ一つの法律ごとに廃止法をつくるという方法もある。

(3)個別政策について
@財政改革
貴党はこの点についても、すでに公共事業の「5年間で3割の削減」という政策を打ち出している。ここでいう3割の対象はいわゆる「公的資本形成」「行政投資実績」「公共事業等関係費」などがあるが、一番狭義の「公共事業等関係費」に限定することなく、総額50兆円ともいわれる最広義の「行政投資」全体を対象とするべきである。したがって改革はいわゆる一般会計の予算だけでなく、財政投融資(特別会計を含む)などにも広げられる。また単にスローガンとして削減をいうだけでなく、実現を確実にするための法的な対応が必要である。
その方法としてかって、橋本内閣時代に制定された財政構造改革法のように削減目標を定め、毎年すべての事業について一定の比率で削減していく方法と、個別事業ごとに異なる削減目標を定め実施していくという方法が考えられる。
とりあえず、前者のほうが簡便であり、関係官庁の抵抗は比較的和らげられるであろう。しかし、一律削減では公共事業の「質」の転換は行う事ができない。当委員会は「質」の転換を象徴するものとして、ダムについて「緑のダム構想」を提案し、ダム建設事業の全面凍結を打ち出した。このような質の転換を印象づけ、はっきりさせるために、個別事業ごとに政策を定め削減していくという後者の方法に踏み込むべきである。

A環境の維持と回復
有明海のノリ被害にみられるように公共事業による環境破壊は深刻なものである。ダムの堆砂も、そのまま排出すると海が壊滅的な打撃を受けるため、簡単には解決できない。
従って、これに対しても法的対応をする必要がある。政府や自治体はこれまで主として「環境アセスメント」によって環境対応を行ってきた。しかしこの「環境アセス」によって公共事業が中止されたり、修正されたりする事はほとんどなかった。事業をする人と評価をする人が同一の主体であるとか、評価時期が事前評価だけでフォローがない、はじめから原案を通すことが前提になっていて代替案を持っていないなどいくつもの欠陥が指摘されてきた。
おそらく海外先進国では、これまでの政府や自治体の諫早湾の埋立、あるいは長良川の河口堰建設によっても環境破壊がないなどという主張は一笑にふされるであろう。公共事業を見ていると、我が国の環境政策の貧困さを痛感させられるのである。
貴党は、すでに制定されている個別法とその運用について、環境保護(回復)の観点から全面的に点検し直すと共に、既存の法律で対応できない場合には、例えば当委員会が湾岸の環境を守るために提唱している「湾岸保全法」などの新しい法律の制定を急がなければならない。21世紀は"環境再生の世紀"であり、環境問題は既に国際的な政治課題となっていることを、深く認識すべきである。
なお、環境回復と並んで今後問題となるのは既存施設のメンテナンスである。いわゆる土建的公共事業はコンクリートが主たる素材であり、これらはいずれ老朽化し、必ず更新時期が訪れる。新規事業の環境的観点からの厳しいチェックシステムの構築と同時に、既存施設のメンテナンスについても、技術的、財政的対応を準備しておく必要がある。

B全国総合開発計画の廃止と公共事業関係長期計画の廃止
これについてはすでに「中間報告」で廃止の理由をのべているので再説しない。基本法に廃止を盛り込むか、個別対応を行うかを選択されたい。

C「国営事業」と「市民事業」への分割
ア)これについても「中間報告」で分割の理由を述べている。
基本法では二分割するにあたって、全事業に関わるものおよび個別事業に特有なものに分けて原則的な基準を書くにとどめるか、あるいは原則だけでなく下表のように道路、空港など個別事業ごとに具体的に分割を例示するという二つの方法が考えられる。
種別 国営事業 市民事業
 道路整備 現行の国道1号線から     58号線まで  左を除く国道及び地方道全て
 空港整備 成田、関空、羽田、伊丹  左を除く空港全て
 港湾整備 千葉、京浜、名古屋、四日市、大阪、神戸、博多  左を除く港湾全て
 下水道整備     無し  全ての下水道事業

なおこの分割は先ほど見た投資額総量の削減や質の転換と密接に連動し、しかも国民の生活に大きな影響を与える可能性がある。従って、この点について、早急に幾つかの選択肢を準備し、検討しなければならない。

イ)「国営事業」については個別事業ごとに国会が計画と予算を審議(プロジェクト方式)し、かつ一定の年度ごとに評価をする。この方法についてはすでに第一次、第二次公共事業コントロール法案でモデルが示されている。
ウ)「市民事業」については、基本法では、特に自治体と市民の「選択の自由」と「選択の責任」を強調し、計画、実施、点検については現行都市計画法の「都市計画」と同じようなシステムとして制度化するという大きな原則を書くにとどめ、具体的なシステムについては別に「市民事業法(仮称)」を制定する。

なおこの「国営事業」と「市民事業」について、一定の時間が経過しても着工されない事業は自動的に中止(再開する場合には行政だけで決めるのではなく、議会の議決を必要とする)されるという、いわゆるサンセット条項(時のアセスメント)の採用を定めておきたい。

D補助金の統合化と廃止
これについても「中間報告」で統合化、そして廃止という理由と手順について答申している。統合化と廃止は、公共事業関係に止まることなく、教育、福祉などすべての補助金に広げる必要がある。特に後にみる「市民事業」ではそれは欠かせない。
とりあえず基本法では、公共事業に限って理由と手順についての原則論を示しておきたい。なおこれと関連して、自治体の財源について自治体の固有の「自主財源論」に踏み込むのも一案(補助金の全面廃止はここに踏み込まなければできない)であるが、これは国と自治体の根幹的な制度論にも関わるので、なお慎重に議論を詰めなければならないと考える。あわせて、その際「地方債」のあり方も検討されるべきであり、ここでも二つの選択肢がある。一つは「地方債」の発行を自治体の自由とし、国は一切関与しない(そのかわり破産しても助けない)というもの、もう一つはアメリカのインディアナポリスのように州法(憲法)で、赤字を翌年度に持ち越さないという原則を立てた上で発行を自由とする方法である。

E道路特定財源制度と空港整備特定財源制度の廃止
貴党はこれについてはすでに廃止を打ち出している。委員会も同意見なので、早急に促進されたい。

F財政投融資の段階的廃止
財政投融資を段階的に廃止し、これに連動してGのように特殊法人の改革をはかる。
これはすでに見たとおり公共事業投資額総量の削減、あるいは公共事業の質の転換にとっても不可欠な改革である。

G特殊法人と公益法人の改革
公共事業投資額の削減、長期計画の廃止、「国営事業」と「市民事業」の二分割及び補助金の統合化や廃止などの新しい政策は、当然の事ながら、これを実施する機関である特殊法人や公益法人にも様々な影響を与える。とりわけFで見た財政投融資の改革はストレートにこれら特殊法人の存廃と結びつく。
従来からこれら法人に対して天下り、秘密主義、採算を考えない事業経営等のため非効率的な事業運営、巨大な赤字等様々な問題点が指摘されてきた。そのためさすがに政府もこのまま放置しておくができず、これら法人の廃止を含む改革を提起しているが、これも上辺だけの改革に終わりかねない。
貴党は、前述の様々な改革と関連付けながら、特殊法人と公益法人に対して、廃止、そして分割・民営化などの抜本的・全面的なメスを入れるべきである。また改革の前提条件として、これら法人が抱えている「権益」と「赤字」に関わるすべての情報を開示し、あわせて、事後処理(安易な公的資金による解決はいけない)については更なる叡智を結集すべきである。

H国土交通省の抜本的改革
2001年1月国土交通省が発足した。当委員会はこれに対して第一回目の「緑のダム構想」で、環境の観点から国土交通省から河川局を分離して環境庁や林野庁と合体させる第二次行政改革を行うよう答申している。しかしそれだけでなく上記に掲げた各種改革を行えば、国土交通省の本質的な組織改革が必然となる。
開発偏重型の行政組織は、21世紀の日本には必要ない。また細部にわたる法律、全国一律の基準そして補助金を通じた中央集権型の社会資本整備のシステムも過去の遺物である。「地域に必要なものは地域が決める」時代に即した、中央政府の社会資本整備担当機関のあり方を検討しなければならない。
一案として、ハブ空港及び高速道路等に関する実施業務(建設及び建設後の維持管理等運営)は民営化し、中央省庁の役割は国土の保全を中心とした利用のあり方の企画立案及び環境を保全するためのごく一部の直轄事業に限定することによって、その機関を徹底的にスリム化することを提案する。

(4)「公共事業基本法」の法的性格
法律には、土地基本法のように理念的・宣言的な法として政策の基本的な原則を定め方向性を示すだけのものと、道路法や河川法などのように実際に権利と義務に影響を与える強制力をもつ実定法の二種類がある。
「公共事業基本法」もいわゆる基本法として、一般的には政策の理念を示す理念法・宣言法として制定されるが、その中に書き込まれる幾つかの個別の政策を、直接、基本法で具体的な効力を持つ実定法としてつくることも考えられる。
法の体系的な整合性などの観点から、直接基本法に書き込む事ができない場合には、原則を示すだけにし、その具体化を別の個別法の制定(あるいは既存の法律の改正)に委ねる。次に見る「市民事業法」はその代表的な例である。
2.「市民事業法」
(1)「市民事業」をめぐる環境(権限論と財源論)
私たちの提案では、今後、公共事業の大半が自治体の事業となる。これまで自治体は、地方自治法や地方財政法などの一般論でいうと、権限の上では「機関委任事務」に見られるように、自由な権限がなく、国のなすがままであり、財源も「3割自治」という言葉で示されるように、自己財源が少ないため、国に依存しなければ何もできなかった。
注意しなければならないのは,自治体の国に対する従属度は、このような一般論を越えて、道路法や補助金などを見ればわかるように、この公共事業の分野でより著しいということである。その関係は「従属」というよりも、一心同体的なもたれあいといってもよいだろう。
官僚による上からのバラマキ、自治体の国に対する陳情が公共事業の習い性であった。特に注目しなければならないのは、国が景気対策としてバラマキを強めた点である。しかし自治体は折りからの財政危機もあって単独事業だけでなく、国の直轄事業や補助事業についても自己負担部分が支払えないとして消極的になってきた。そこで国はこの自治体の自己負担部分について後に交付税として補填するようにしたため、自治体はただ同然で事業ができるようになった。そのため公共事業全体について歯止めがなくなり、これが現在の巨額な赤字につながったのである。
「市民事業」を実現するためには、このような国と自治体の従属と癒着の関係を根本的に変えなければならない。そこでこれに関して最近の改革の成果と限界を見ておこう。
2000年には周知のように地方分権改革が行われ、400本を越える法律が改正された。権限論は「機関委任事務」が解体され、「法定受託事務」と「自治事務」が創設された。公共事業の分野でも、治水と利水、一本槍であった河川法の目的に「環境」が加えられ、景気対策としての公共事業依存の効果が、高度成長期より急激に縮小している事が知れ渡るようになった。
こうした変化もないわけではないが、仔細に見ると、特に公共事業の分野では、ほとんど改善が見られない。それが今回「公共事業基本法」として提示した、最大の理由であるという事を確認したいのである。「市民事業」とは、これまでの地方分権改革の限界を乗り越える実験でもある。
「市民事業」は単なる公共事業計画ではない。それは福祉や教育も含めた町づくり、住民の将来づくりそのものであり、計画するだけでなく実行する事業論であり、しかもそのすべてについて市民がイニシアチブと責任を持つ自治体の組識を含めた政治論である。そして与えられた民主主義を、50年ぶりに私たち日本人の血肉とする取り組みのさきがけである。

(2)市民の政府
@「地方政府」の創造
都道府県や市町村は今後、自主的な権限と財源を持つ、文字通りの「自治体」、つまり「地方政府」になる。

A「地方議会」の変革
「地方政府」には市民の意思が反映される。というより反映しなければ運営できなくなる。地方選挙は、地域住民の将来に大きな影響を与える地方政府を、住民を代表して監視する議員を選択する意味を持つようになる。その時、地域住民は従前の血縁、人脈、目の前の利権による選択ではなく、自らの将来即ち政策をもって貴重な一票を投じるようになる。

B「地方政府」から「市民の政府」へ
「地方政府」は自治体独自の政策の実現(計画の策定、実施システムの構築、そして評価と点検)に取り組むようになる。市民はこれに対して、選挙以外にも様々な方法で関与する。
まずアンケート、モニタリング、審議会に対する参加等が一般的である。さらに一般的な関与だけでなく、マスタープラン(基本計画)の策定、条例の議員立法、個別事業に対する代替案の提案など、具体的で、専門的な事項についても市民として、専門家としてあるいは自ら議員や首長となって実践していくようになるだろう。

これまで市民はサービスを受ける行政の客体であった。今でも憲法学や行政学では市民は「統治の対象」とされている。しかし、市民は徐々に自ら治めた税金がどのように使われるのか調査するようになり、行政サービスの向上を求めて「参加」するようになってきた。参加行政は20世紀後半の日本政治の主題であり、地方分権論もこれを背景にしている。しかも、市民は参加して政策を変えるというだけでなく、「パートナー(協動)」として行政の実施してきた政策を肩代わりするようになってきている。正確に言えば、肩代わりではなく、協動しながら、これまで市民が行うべきことと、行政が行うべきこととされてきた線引きそのものを変えようとしているのである。
自由な地方政府の創設は、市民を「パートナー」をも越える存在に変えていくであろう。すなわち、よりダイレクトに政府内部(助役、局長、そして政策立案部局など)へ市民が参画していくのである。アメリカでは大統領が変わると、多くの幹部官僚も変わることはよく知られている。日本でも最近は政府内部への民間人の登用が実施されるようになった。地方政府は最も市民に近い組識として内部登用は急速に進む。 次第に市民自身が政府を構成する「市民の政府」となるのである。

C統治からの解放
「市民の政府」では次のようなことが日常化する。市民は政策の実現主体となる。言い代えればこれまでの「統治」の概念は廃棄され、政策の主体と客体は一体化される。行政サービスの企画立案者、実際の提供者そして消費者が一体となるのである。この時に行政サービスは財政等の「提供サービスの量的・質的限界」と、従来無限とされていた「サービス消費者の欲求」がバランスされるのである。
政策はこれまでのように第一時的には首長によって発議され、議会によって審議議決される。しかしそれが市民の意思に反すると考えられる場合には、市民は何時でもまたどのような政策に対してでも住民投票を行うことができ、その結果に対して、首長および議会は拘束される。

ここでは、20世紀型の依存型「信託論」、つまり市民は自分が主権者として持つ政策決定権を日常的には「首長と議会」に任せている(選挙の時は王様だが日常は奴隷になる)という状態は、21世紀型の監視型「信託論」に変えられる。すなわち、地域住民は常に主権者として「首長と議会」を監視し、彼らが信託に反した場合には、何時でも彼らと違った行動が取れるという意味での「革命」が日常化され、合法化されるのである。
そしてこのような状態、つまり直接民主主義が活性化していく延長上には、現在のような首長と議会のチェックアンドバランスという二元的な政府構造の変更も展望されていくだろう。「市民の政府」にとってそれがもっとも適合的なシステムかどうかいまだ定かではなく、場合によっては北欧のように議員が首長になる、「議会と首長が一体化した政府組識」といったものも考えられる。

D政策は家族と生活、そして地域、自治体へ
市民は政策を立案し、実現し、評価していく、あるいはされていく。市民の出発点は自分の家族と生活である。これまで公共事業は国から、自治体へ、そして自治体から家庭へと降りてくるものであった。地方公共団体の政治は陳情してもらってくるものであった。これまで、公共事業の目的は何よりも効率であり、経済であり、雇ってもらうものであった。
市民の政府はこれを逆転させ、家族・生活から出発し次第にこれを地域そして自治体、そして国に広げていく。あるいは地域や自治体を飛び越えていきなり世界と繋がっていくかも知れない。市民は要望を出し、意見を言うというだけでなく、専門的な知識や高い実業能力を持ち、自ら事業を行う。市民間の意見の対立を調整し、税金を納めるだけでなく、その使い方に対し意見を言い、そして責任を負う。事業の優先順序も、「安心、安全、美」といったものに変えられるであろう。
事業は国や自治体の公的セクターと民間企業による市場セクターの二元構造の中に新たな第三の領域を占める市民セクターとして位置づけられる。少子高齢化、環境重視、生活の再建などは日本だけでなく世界中の課題であり、このようなテーマこそ市民セクターが取り組む格好の対象である。NPO・NGOの発展は、市民セクターの量や質を飛躍的に上昇させるであろう。

(3)具体的なシステム
 市民の政府は、町づくりの目標と方法を定めたマスタープランを策定する。マスタープランには、土地利用の方針、実現手法としての規制と誘導、具体的な事業、それらの評価と点検の方法などが、誰にでも理解できる形で書き込まれる。特に事業については、場所、事業の内容、費用、時期、担当者、関係法律などが明示される。
マスタープランは、すべての情報が公開され、充分な市民参加のもとで策定される。そこでは、従来の公共事業だけでなく環境、福祉、教育などすべての事業が町づくり事業として一本化され、その中で優先順位や費用が決められる。
マスタープランは議会で審議され、決定される。
マスタープランの定めた事業が計画通り実施されているかどうか、市民のニーズに合っているかどうかなど絶えず点検が行われる。 点検は市民の入った委員会で、市民的にまた専門的に行われる。その結果は行政と議会に報告され、その両者を拘束する。

(4) 条例
最近の地方分権改革によって自治体の権限と財源に関して自主性が向上した点もある。しかし、ここでみたような「市民事業」を行うにはまだ多くのハードルを越えなければならない。「公共事業基本法」とワンセットで「市民事業法」を制定する理由がそこにある。
しかし、それだけでもまだ不十分だ。「市民事業法」を制定させるためにも、自治体の「市民事業条例」が先行しなければならないのである。情報公開、環境アセスメント、公害など市民の生活と直接関わる法律はほとんど自治体の条例から改革が始まり、それが国にとどいて法律となった。
マスタープランを始めとする一連の「市民事業」のプロセスは「都市計画とその手続」として集約する事が可能であり、また望ましい。
しかし現行都市計画法(それを含む全体としての都市法)には、「市民事業」の思想と抵触する様々な論点がある。
@確立していない自治体の自主権
都市法は依然として国、都道府県、市町村という、縦の三段階構造となっている。市町村の仕事に対しては都道府県の、都道府県の仕事に対しては国の関与があって、それぞれの自治体の自由は保障されていない。
この中央集権体制は母親法としての都市計画法だけでなく、計画を事業として具体化する道路法や河川法という個別法により強く貫徹している。

A中央省庁縦割りの弊害
事業を規定する個別法は霞が関の局や課の法律解釈や予算(補助金を含む)で運用されている。そしてこの縦割りが自治体の行政までも規定し、縦割り構造をそのまま持ち込まざるを得ないため、自治体現場では総合的な運用ができない。

B地方財政制度改革の遅れ
自治体が財政危機状態にある事は周知のとおりである。また自治体は第三セクターの倒産など自治体の財政を直撃する要因を数多く抱えており、財政の窮乏はいっそう進み、中にはいわゆる「財政再建団体」(破産)に陥るところも出てくるだろう。それが自治体の自治にとってタブーとされている国の補助金に頼らざるを得ない大きな要因であった。自治体は毒だと知りながら飲まざるを得ない状態にあるのである。したがって「市民事業」を行うためには補助金の統合化から始めて、第二交付税、そして自主財源の確保といった改革を早いスピードで行う必要がある。

(5)NPO・NGOとの協動作業、「市民事業」の実験
事業には自治体が直轄で行うもの、完全に民営化するもの、第三セクターやPFI等民間企業を採り入れるもの、あるいは最近福祉の分野などで見られるようになってきたNPOなど市民の行う事業など様々な事業がある。
このうちNPOについてみると、福祉だけでなく、既存施設の修復、地域独自の汚水処理施設の建設、ゴミ処理、さらには伝統的な文化や祭りの復興などは、特に適した事業といえよう。これらの事業には高齢者、女性なども多いに進出できる、失業者を吸収できる可能性があり、雇用の範囲を拡大する。また彼らが担う事業は、自治体が直接行うよりも、また民間が営利を目的にして行うよりも、目的に整合的でかつ効果があがる。
それは自治体の財政負担を軽減し、さらには市民がみずから収入を得る事によって消費を活発にし、地域経済を発展させる。
何よりも自らが主人となる事はプライドを高める。
これら市民セクターの発展の可能性を含めて どの事業を誰がどういう方法で行うか、入札等の発注、事業の管理、施設完成後の管理運営などについていろいろな工夫や組み合わせが考えられる。
「市民事業」の理念、原則、具体化、罰則など、公開で、市民や議会の参加を得て条例で決めていくのが望ましい。各地の実験が国レベルでの改革を促進するのである。
「選択の自由」と「選択の責任」は、このすべてに貫かれていく。

〜おわりに〜
今回、「公共事業基本法」と「市民事業法」の制定について当委員会の意見を述べた。
「中間報告」で示唆したように、公共事業を根底から改革するためには、このほかに工事中止に伴う住民に対する補償等に関する立法、あるいは今後日本社会のもっとも大きな論点になると思われる、公共事業に依存しない地域をつくるための「地域自立支援法」が必要である。しかし問題は深刻、かつ膨大なため、今後引き続き調査研究する必要があり、今回の答申に間に合わせることができなかった。今後の検討課題としたい。


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