長良川河口堰住民訴訟通信から
伊藤達也


裁判も気がつけば3年が経とうとしています。国の動きを見れば、小泉内閣の構造改革によって、公共事業も無駄なもの、必要なもの、といった議論がそれなりに出てきています。地方に目をやれば、三重県を中心に水余りの中で行った事業が、いかに地方自治体を困惑させているかがよくわかるようになってきました。

でも、どちらの議論でも真っ先に長良川河口堰事業が問題として取り上げられるのですが、なぜかその先の議論、つまり、「長良川河口堰事業は誤りだったので、このあたりで改めて事業の是非について議論しましょう、まして徳山ダムの建設は中止しましょう」、とはなりません。何故でしょうか?

恐らく、そんなに簡単に誤りを認めてしまうことができないほどに、長良川河口堰や徳山ダム問題は国や地方自治体の根幹を揺るがす問題になってしまっているからなのでしょう。改革派を自任する小泉首相も北川知事も、河口堰問題だけは目をつぶり、避けて通りたいのでは。じゃあ、彼らの改革って一体何なんでしょうかね?

今年の夏も1994年と並ぶ渇水状況に入りつつあります。先日、マスコミの方から電話をいただき、情報交換したのですが、結局、「これでまた、長良川河口堰は渇水に役立つ、なんていうコメントが国土交通省あたりからでるんだろうね」、という結論に落ち着きました。

雨や川の流れといった自然現象を相手にしている限り、どのような対策をとったとしても、必ず渇水は発生します。これから何十個ダムを作ったって、やっぱり渇水は起こるのです。一方、普段使わない水源施設を作れば、渇水のときにそれなりに役に立つのは当たり前です。

普段まったく車が走らない高速道路でも、お盆やお正月シーズンになれば、それなりに車は走ります。「だから作っておいてよかった」ではなくて、高速道路ならば、お盆やお正月に集中した休みの取り方を代えることによって、一般道路でも混雑せずに帰省できるようにするとか、渇水だったら、普段から節水型の暮らしをしたり、渇水時に農業用水から分けてもらえるようなシステムつくりをすることの方が、よほど経済的にも環境的にもいい方法です。

国土交通省がバカなことを言わないように、お互いにしっかりとチェックしましょうね、と言って電話を切りました。でもやっぱり言うでしょうね。「長良川河口堰によって、今回の渇水は○○のような形で影響が緩和されました」。

みんな、これを聞いて、「やっぱり作っておいてよかったじゃない」と言うのかな?まさかね。


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