「田中康夫"不信任"は、なぜ不当なのか」 (転載歓迎)

公共事業チェックを求めるNGOの会代表
"脱ダム"ネット・ジャパン代表
天野礼子


「委員会の答申をうけてのダム中止なら補助金返還はいらなかった」
長野県議会における県政会ら三団体の知事の不信任について、中央のマスコミが書き忘れていることがあります。
そもそもは、田中知事が2001年2月に「"脱ダム"宣言」をした時に、県議会は「相談がなかった」と反発し、それで田中知事は検討委員会をつくったのでした。
委員会の委員を決める時も知事は、議会が承認してくれるメンバーを選び(天野礼子などは避けて)そして議会からも数人入れて、それを議会はようやく承認して、委員会が何度も開催され、結論が「ダムは造らない」と出たのです。
知事はその答申をうけて「私はダムを造らない」といいました。
これは、北海道の千歳川放水路や鳥取県の中部ダムが止まった経緯と同じです。(詳しくは7月12日に発売する拙著「公共事業が変わる」(北海道新聞社刊)を参照ください)
こういう手法と手段をきちんと踏んでいる場合は今まで使った補助金を返さなくてよいという通達も、橋本総理時代の1998年に自治省から出ています。
これで田中知事は、補助金を返すことなしにダムを止めることができたのです。

「県議達は民主主義を犯している」
それは前知事らの公共事業推進で借金だらけになった長野県の県議会にとっては、むしろ歓迎しこそすれ、知事を"不信任"することではなかったのです。
ですから今回ジャーナリズムは、県議団の"不信任案提出"そのものが、このように民主的なルールを犯しているということを、まず書くべきなのです。
その事がきちんと書いてあれば「田中の性格が悪い」や「手法が強引だ」などの県議達の言い分は"不信任"を挙げるに値しない理由であることがもっと全国の人々にわかるはずです。
では何故にそれが書かれないのでしょうか。たとえば朝日新聞は最近"時々刻々"という解説欄に長野支局の記者が書いていますが、こういうことは書いていません。多分記者はこれまでさんざん委員会のことは書いてきたからそれは新しいニュースではないと思っているのかもしれませんが、県議達の要請でできた検討委員会の答申をうけて知事が「ダム中止」をしたにもかかわらず、県議たちが「因縁」をつけて民主主義を犯しているという事実こそが大変重要なポイントで、それが「解説」されるべきでしょう。

「なぜ"書いてもらえない"のか」
それを「書いてもらえない」のはひとえに、田中さんの「不徳の致すところ」(?)。ダムなどと闘う時には一人の記者でも味方につけた方が「賢い」選択なのに、わざわざ「"脱記者クラブ"宣言」などをして記者を怒らせているからです。
でも、田中康夫という人は、とにかく自分が正しいと思うことをやるためには、その事で相手が気を悪くして、自分の"政治"にとって不利になる、なんてことは考えないで「行動」をする人なのです。
そこが、田中の田中らしいところで、日本の市民の望んでいるリーダーとしては、この「根回しをしない」という態度(これが一番県政会を怒らせている)こそが望まれているものだと思うのです。
長野県は、前々知事が6期21年、前知事が5期20年と続いた天下り役人知事で、中央から公共事業をおねだりし続け、それが財政を圧迫しています。オリンピックや関連投資で一兆六千億円の借金を背負うようになった政治は、知事の議会への「根回し」で進められてきた醜い歴史です。
長野県民はそんな政治に「NO」をつきつけ田中知事を誕生させたのですから、県議達の「根回しがない」という発言そのものが、本当は県民の「検証」を受けるべきなのです。

「私たちにできること」
田中さんを支持している人が今できることの一つは、Faxやメールでこの事実を、あなたの愛する人々や全国の仲間に伝えることです。

「脱ダムネット・ながの」と、私が代表を務める「脱ダムネット・ジャパン」は、本日より全国へ向けてのキャンペーンを発信しています。
ぜひ、これをあなたのネットワークで日本中に、そして世界へ広めていただくようお願いします。

私たちの日本が変わるのは、"長野"から。

「脱ダムネット・ジャパン」http://www.lcv.ne.jp/~katotya/


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